第4章 ランデブー

「さて、と。当船はそろそろスピード0になります。重力も無くなりますのでご注意ください。」

まるで、バスの運転手のような口調のヨーコ。かなり、やる気が無い。

「15分くらい停船しよう。復路も1.5Gで航行するから、食事やトイレは、今のうちに済ませておくように。」

ジョーンズなど完全に差し置いて、ブリッジを仕切るソフィ。

「まるで、小学校の遠足ねえ…。」

ヨーコは、不満たらたらで、モニターに映った準惑星ケレスを眺めていた。

「仕方ないでしょう。ソフィの言う通り、ケレスはアシストに使うには重力不足です。やるとしたら、ケツ振りながらで強引に方向転換しなきゃいけなくなる。そんなのを高速でやったら、死人が出ますよ。」

「わかってるわよ、そんなことは。あんた、“仕方ない”が多すぎよ。」

正論を語るアレックスに、少々逆ギレするヨーコだった。

 

「この星、ケレスって言うんですね。もぐもぐ」

「ヤマダはケレスを知らなかったのか?ぱくぱく」

ソフィとヤマダは、シートに座ったまま、一緒に食事をしながら話していた。

食事と言っても、無重力で食べられるようなカロリーブロックやゼリー飲料など。お世辞にも美味しいとは言えないが、丸1日ろくに食事を摂れなかったから、ヤマダはそれなりに美味しく感じていた。

「惑星と言ったら、水金地火木土天海、だと思ってました。」

「それとは別に、“準惑星”というのがあって、代表的なものには、冥王星、ハウメア、マケマケ、エリス、それからケレスがある。ケレスは、19世紀初めに準惑星の中ではもっとも早く発見されたんだんだが、意外と知られてないな。」

「私、初めて聞きました。ここでUターンする予定だったんですよね?」

「Uターン…。まあ、“重力アシスト”というよりは“Uターン”の方が妥当か。」

「でも、星が小さすぎてそれができない…?」

「地球に接近する天体にランデブーするのは意外と厄介なんだ。正面から突っ込むわけにはいかないから、目標天体に対して背後から追いかけて取り付かなくてはならないんだけど、宇宙船は地球から発進するので、どこかで反転しなくてはならない。ところが、ヤマダも体感した通り、宇宙船は簡単に止まれないし方向転換もできなかったりする。で、苦肉の策として使われてきたのが、天体の重力を利用して方向を変える方法だったんだ。」

「それが、重力アシストですね?」

「そう、でも、ケレスは直径が1000キロメートルもないし、質量も月の100分の1程度だから、そもそも役不足なんだよ。よく考えたら、ミシェルも『重力アシストしろ』とは一言も言ってなかったしな。ヨーコが妙にこだわるから、やってみてもいいんじゃないかとも思ったんだけどさ…」

「 っさいわねえ。 聞こえてるわよ。」

二人の会話に聞き耳を立てていたヨーコが噛みついてきた。

「いや、別に聞こえないようには話してないし。」

「そう?なら、いいけど。」

ヨーコは、すぐに噛みつくけどあまり深追いはしない。ソフィはソフィで、つまらない言い訳はしなかった。それが二人の信頼関係。水と油のような間逆の性格が、互いを尊重し上手く協力し合える秘訣だった。

 

 

「さて、食事もトイレも終えたところで、そろそろ目標天体に向かおう。ボクの方で話を進めてしまって構わないか?大佐」

「ああ、頼んだ。ソフィ君」

この段階になると、ジョーンズは、いてもいなくても、どうでもいい存在と言って過言ではなかったが、ソフィは一応伺いを立てておいた。

「今後の航行プランだが、少々ややこしいことになる。 秒速320キロメートルで移動する天体へのランデブーという、前代未聞ミッションを行うのだから、当然だけどな。」

ソフィは、モニターに目標天体と宇宙船の現在地を示した太陽系図を表示した。

「まず、目標天体だが、現在、当船から約6185万キロメートルの位置を地球に向かって進行中。我々はこれを追うために、まずは15メートル毎秒毎秒で、27時間かけて秒速1450キロメートルまで加速しなくてはならない。」

ソフィは、モニター上で、宇宙船のグラフィックを経過ポイントまで移動させた。

「そこからは、目標天体と同じ秒速320キロメートルに速度を合わせるため、今度は15メートル毎秒毎秒で減速。21時間かけて目標天体に到達する。」

そう言うと、図上の宇宙船をゆっくりと動かし、目標天体へ到達させた。

「秒速1450キロメートルか。行きに比べると、最高速はずいぶん遅いんだな。」

ジョーンズが、何となく思ったことをボソっと言った。

「ふぅ…。」

ソフィは「やれやれ」といった感じでため息をついた。

「それは、長距離航行を行う以上回避できない問題だ。最高速度は、減速航行を行う距離と時間に制約される。もし、それを上げたいならば、加速度を増やすしかない。例えば、2Gにする、とかな。」

その話を聞いて、「無理無理」と首を横に振るヤマダ。

「まあ、もっとも、往路でも2Gで減速することは考えたのだが、肉体的な負担が、やはり大き過ぎる。我々が接近するまでに、目標天体が1億キロメートル以上も前進してしまうことにも、歯がゆさを感じずにいられない。しかし、“旗つつみ”を実現したり、正確にランデブーするためには必要なロスだと思うよ。トレードオフと考えるしかないな。」

「いやっ、そうだな。すまない、続けてくれ。」

ジョーンズは、きまり悪そうに引っ込んだ。

「目標天体に接近した後は、ヨーコの出番だ。目標天体の右側面に回り、回転軸の軸線上100メートルの位置にランデブーしてほしい。かなり至近距離だけど、レーザー照射を効果的に行うためには必要なんだ。」

「ちょろいもんよ。まかせといて。」

ヨーコは、自信満々に答えた。

「そして、回転軸の中心に、高強度レーザーを照射。これは、レーザーの扱いに一日の長がある、カニンガム博士にお願いしていいだろうか?」

ソフィは、クリスの方にチラリと目をやった。

「まかせてくれ。レーザーは反物質エンジンの出力とも関係してくるからな。」

クリスは、ソフィの方を振り返り、2本指でキザったらしく敬礼してみせた。

「レーザーの照射を受けると、目標天体の表面はプラズマ化し、推進力が発生する。それによって目標天体の軌道を逸らすというわけだ。」

モニターには、宇宙船からのレーザーによって、目標の天体がいとも簡単に動かされるグラフィックが表示された。

「ちょっと、いいかしら?」

話の途中で、今度はダニーが口を挟んできた。

「なんだ?ダニー」

「レーザーを照射して表面をプラズマ化、というけど、それは表面が鉄であるという前提よね? そう予想したのは私だけど、あくまでも推測でしかない。もしも、鉄よりも堅牢でプラズマ化しにくい物質だとしたら、どうするつもり?」

「ダニーの懸念はもっともだ。しかし、反物質の恩恵もあって、レーザー強度はかなり高めることが可能。仮に鉄以外の物質だとしても、たいていはプラズマ化できると思う。もし、無理だったら、別の方法を考えるまでだね。」

「行き当たりばったりなのねぇ。」

ダニーは、軽くため息をついた。

「何から何まで不確定なんだから、その時のベストを尽くすしかないよ。」

小惑星とも彗星ともつかない未知の天体。物理の法則を無視した異常な回転。構成物質もわからない。何もかも手探りで進めるしかないミッションだった。

「あのー、私はいったい何をすれば?」

ヤマダが挙手質問した。

「ヤマダは…特に何も無い。今後も、問題が起こらなければ、何もすること無いんじゃないかな?」

ヤマダに何かすべきことがあるというのは、ソフィを始めとして、ここにいる全員がお手上げ状態になった時。最後の望み、神頼みの相手がヤマダなのだ。ソフィは、今後、そのような事態に直面しないことを、心から祈っていた。

「と、まあ、こんな具合なんだが、ミシェルはどう思う?」

《いいんじゃないか? 他にやり方が無いわけでもないけど、何がベストかは決めかねる状況だしな。》

モニター越しにミシェル。

「気に入らないなあ。もっといいアイデアがあるみたいな言い方じゃないか。」

ソフィは、不満げな顔で、ミシェルに文句を言った。

《いや、現場にいるお前が決めた方がベターだろ。オレの言うことなんて、いちいち気にするな。》

だったら、妙な含みがある言い方するなよ、と思ったソフィだったが、そんなことで言い争っている暇はなかった。

「ヨーコ、時間が惜しい。出発しよう。」

「了解。重力来るから、全員シートに着いててね。」

宇宙船は、ゆっくりと速度を上げ、準惑星ケレスを後にした。

 

 

─その頃、ジョンソン宇宙センター(ヒューストン)─

「ふう、目標天体の衝突予定まで、あと14日か。本番は、まだまだこれからなのに、どっと疲れたな。」

ネクタイを緩め、デスクの上に足を投げ出すミシェル。

「あまり寝てないんじゃないですか?ミシェル。はい、コーヒー。」

温かいコーヒーをミシェルのデスクに置き、声を掛けてきたのはミミ・ラーナー。亜麻色のショートヘアーが似合う、少し年上の女性オペレーターだった。

「君がコーヒーを淹れてくれるなんて、珍しいな。」

「ええ、今日は特別です。かなりお疲れのようでしたから。あまり無理はしないでくださいね。」

あまり寝てないことについて「無理をするな」と言うのは、つまり「少しは寝ろ」と言ってくれているのだろうが、ならばどうしてコーヒーなんて持ってくるのだろう?と疑問に思うミシェルだった。寝て欲しいのか寝て欲しくないのか…。しかし、難題が一段落した後の温かいコーヒーはありがたいものだった。

「君は、ちゃんと休めているのか?」

コーヒーを飲みながら、ミミに話しかけるミシェル。

「ええ、娘を迎えにいかなくちゃならないから、私は定時で上がらせてもらっています。」

ミミは、自分のデスクに置いてあるフォトフレーム(ちなみに3Dホログラム)をミシェルに見せ、ニッコリと笑った。

「かわいらしいお嬢ちゃんだな。」

「ありがとうございます。」

あと2週間で人類が滅びるかも知れないというのに、人々の日常は続き、母親は子どもの未来を信じて、毎日送り迎えを続けてる…。ミミのように、内部事情を熟知していれば、状況がかなり厳しいことは理解しているはずなのだが…。

滅ぶかも知れないという現実が大きく立ちはだかる一方で、助かるかも知れないという可能性もあるから、安易に自暴自棄にもなれない。だから、滅びる直前まで今日と同じ毎日を繰り返すのだろうか。

しかし、滅亡の恐怖を前にして、自棄になる人たちもいる。きっと、現実的にはそういう人たちの方が多いだろう。人々が自棄になり、社会システムが崩壊すれば、“人類が滅ばなかった時”のリスクは計り知れない。ミシェルはこの点も強く懸念していた。

それは、北米連合大統領を始めとした各国政府のトップも同様で、天体の衝突に関しては、関係者以外に一切語られていなかった。

 

「ミシェル君、お疲れか?」

少しウトウトしていたミシェルだったが、聞き覚えのある声を聞いて、デスクの上に乗せていた足を下ろした。

「これは副長官。わざわざ…」

「いや、そのままで構わん。」

椅子から立とうとしたミシェルだったが、副長官の言葉に甘えてそのまま座り直した。

「ヤマダの機転に救われたこともあって、思いのほか順調ですよ。これから、目標に接近し、ランデブーします。」

「ふむ、面接で初めて見た時はどうしたものかと思ったが、噂に違わぬ才能の持ち主のようだな。」

「私も、こんなに早く活躍してもらえるとは思えませんでしたがね。しかし、まあ…」

「…何だね?」

副長官は、言葉を濁したミシェルに問いただした。

「いや、まだまだ余談を許さない状況です。軌道を変えられるかどうかはやってみないとわかりませんし、物理的に説明のつかない回転運動も未解明のまま。このまますんなりとはいかないでしょうね。」

「ミシェル君、くどいようだが、“できなかった”ではすまされないのだぞ。」

「わかってますよ。“任せてください”と言わざるを得ないんでしょう。言われなくても、死ぬ気でやってます。」

ミシェルは、副長官の脅しめいた言い方にイラ立ちを隠せなかった。

「しかし、本当にダメな時は、すぐに連絡しろ。」

「どういうことです?」

「我々は月の裏側に2年間居住できる環境を用意している。安心しろ。君の寝床も残してある。」

副長官は、周囲に聞こえないように、ミシェルの耳元でこっそりとつぶやいた。

「!?…自分たちだけ逃げる気ですか?」

「種と文明を存続させるためだ。当然だろ。」

そう言い残して、副長官は立ち去った。

 

ミシェルは、再びデスクの上に足を乗せ、思わず「ちっ」と舌打ちをした。

気づいたら、斜め前の席に座るミミが、振り返ってミシェルの顔をじっと見ていた。

恐怖と侮辱が入り交じったような嫌な表情。

「聞こえてたのか…。」

「今の話、本当なの?ミシェル」

「たぶん、ね…。でも、心配するなよ、ミミ。僕はどこにも逃げない。100億の人類を見捨てて、おめおめと生き続けるほど強いハートは持ち合わせちゃいないからな。」

自嘲気味に笑うミシェルを見て、ミミは少しだけ安堵した。

「だいたい、あんなのが地球に衝突したら、2年くらいで済むもんか…」

 

 

「だんだん肉眼でも形がわかるようになってきたな。そろそろか?」

ジョーンズが、モニターを見ながら言った。

厳密に言うとモニター越しで見ているのだから、肉眼でもなんでもないのだが、そこをいちいちツッコむ者はいなかった。

「あと1時間ってところだな。そろそろ、仮眠をとってるカニンガム博士たちを起こそう。」

誰に対してというわけでもなく、ソフィが言った。

「あ、私呼んできます。」

そう言って、ヤマダはシートからスッと立ち上がった。

「あらまあ、ヤマダちゃん。歩けるようになったのね?!」

1.5Gの重力の中、普通に歩いているヤマダに驚くダニー。

「ええ、まだちょっと身体が重い感じですけど、なんとか。」

「そりゃ重いわよ。ヤマダちゃんの体重だと、今75キログラムを支えているようなものだものねぇ。」

「えーと、今は体重が1.5倍だから…。」

頭の中で計算してみるヤマダ。

「…!? ダニーさん、ヒドいです。私、そんなに重くありません!」

ヤマダは、顔を紅潮させ、ダニーの肩をポカポカ叩きつつ、そのまま居住ブロックにクリスとアレックスを呼びに行った。

「やっぱり、いいわねぇ。若い女の子がいると華やいで。」

ダニーは、ヤマダとのガールズトークにすっかりご満悦だった。

ヨーコとソフィは、何か主張してやりたかったが、墓穴を掘りそうなのでやめといた。

 

《ミ…シェルだ。あれ、…な…んだ?おかしいぞ。》

「ヴィシソワーズ、通信異常だ。確認してくれ。」

ソフィは、オペレーターに指示を出した。

「イワシミズです。僕はトマトの冷静スープですか?! …確認します。」

(それはガスパッチョ。)

しかし、ソフィもいちいちツッコんでいる場合ではなかった。

《いや、周波数を変えた。どうやら、目標天体周辺の磁気が乱れているようだな。》

音声は戻ったが、映像はノイズまじりだった。

「磁気異常? これまでそんなものは確認できなかったはずだけど…」

異常事態の連続に、ソフィは少しイラっとした顔を見せた。

《目標天体が太陽に近づいてるから、電離現象が起こってるのかも知れない。ここ数ヶ月、太陽活動も活発化してるし。目標天体の回転運動も関係している可能性があるかもな。》

「あのな、ミシェル。憶測で言うのはやめてくれないか? ただでさえ状況予測が難しいんだ。原因はきっちり究明してくれないと困る。」

《こちらでも全力で分析に当たっているが、情報が少なくて手の打ちようがないんだ。しかし、それでも、ミッションは継続しなくてはならない。わかるだろ?》

ノイズだらけのモニターから、ミシェルの声だけが鮮明に聞こえていた。

「それはわかってるよ…。しかし、これ以上目標天体に近づくと、地上との交信は完全に途絶えるんじゃないのか? ハッブルからのデータも入ってこなくなる。」

《ハッブルのデータは、今のうちにダウンロードしておいてくれ。最新ではなくても、天体の位置関係は把握できる。それに、交信不能でもミッション内容は単純だ。目標の天体を太陽の側に押すだけだからな。正確な座標は、宇宙船からの光学データだけでも十分だろ?》

「とりあえず、それでやるしかないな…。」

ソフィは、眉間に皺を寄せ、ミシェルからの指示を渋々了承した。

「大丈夫なのか?」

二人のやり取りを聞いて、不安になったジョーンズが、ソフィに声をかけた。

「いや、このミッションでミシェルからの情報が役に立った試しはない。交信できようができまいが、大差ないのかもな。勘に頼るのは気にいらないが、やれるだけやるよ。」

《聞こえてるぞ、ソフィ。》

居直るようなソフィの台詞が、ミシェルの癇に障った。

「聞こえないようには言ってないよ。」

ソフィは、まるで悪びれない。

《まあ、いい。とにかく、交信は途絶えるということで、何かあったらそっちから連絡を試みて欲しい。こちらでも、絶えず観測と分析は進めておくから。》

「連絡した時は、もう手の施しようがない状態、ということもあるけどね…。」

連絡できるというのは、目標天体から離脱して距離を置いているということ。ミッションの途中でそのような状態になるのは、万策尽きたということに他ならなかった。

 

 

「さーて、そろそろ目標天体の速度にシンクロするわよ。無重力になるから、全員シートロックして。」

ヨーコは、操縦席にしっかりと腰を落ち着け、姿勢よく操縦桿を握りながら言った。

「えー、また無重力なんですかぁ?せっかく(1.5Gに)慣れたのに…」

ヤマダは、不平を言いながらもシートに座り、ロックをかけた。

ちなみに、シートロックをかけると、ベルトよりも強固に身体を固定するので、ほとんど身動きが取れなくなってしまう。

「速度330、328、325、322、320…。シンクロしました。」

アレックスが、ヨーコに速度を伝える。

「よし、行くわよー。全員舌かまないように注意!!」

ランデブーという、難易度が高く危険なミッションを前に、ヨーコの顔つきは獲物を狩る肉食動物のようになっていた。スリルと緊張。人並みはずれた集中力。

宇宙船は一気に目標天体の右側に迂回し、回転軸の近くまで行くとレーシングカーのドリフト走行のように船体を横滑りさせ、移動と方向転換を一度におこなった。

もちろん、そのとき発生する重力の影響は計り知れず、乗員たちの身体を強烈に横に振った。ヤマダなどは、顔面の皮膚を剥がされるのではないかというくらい強い衝撃を感じ、「あびゃびゃびゃびゃ」と、聞き慣れない悲鳴を上げていた。

そして、慣性の法則に従い流れていく船体。ヨーコは操縦桿の横にあるパネルを神業のようなスピードでタッチし、72個ある制御スラスタ(推進機)を一斉に操作した。上、上、下、下、右、右、左、Aボタン、Bボタン。コンマゼロ秒単位で制御されたスラスタのプラズマ噴射は、ミリ単位で船体をコントロールし、その位置、距離、角度を、予定のランデブーポイントに寸分違わず固定させた。

「さすが少佐。完璧です。」

親指をグッと立てて、アレックスはヨーコを賞賛した。

「ありがと。ま、ちょろいもんだけどね。」

「すごい…。ミリ単位で正確に収まってる。マニュアルモードなのに。」

座標データを確認したオペレーターのイワシミズは、驚きを隠せなかった。

「こういう重力にムラがある天体に着ける時は、手動の方がいいのよ。ツチフマズ君、覚えておきなさい。」

「イワシミズです。僕は頸椎のコリによく効く足ツボですか?!」

「頸椎に効くのは、親指の付け根じゃなかったかしら?」

すると、後ろの方から、絹を引き裂くようなダニーの悲鳴が聞こえてきた。

「キャーッ!! ヤマダちゃんが失神したわ!」

ヨーコとアレックスが振り返ると、そこには、シートロックで固定されたままで、指先までダラリと力が抜けたヤマダの姿。

「あちゃ〜、やっぱり? ごめんねぇ、ヤマダちゃん。」

ヨーコは、多少は予想していたものの、申し訳無さそうに言った。

「ヨーコ!あんたねえ。ちょっと操縦荒すぎよ。」

ダニーは、ヨーコをたしなめた。

「うーん。でも、たらたら操縦するのもかえって難しかったりするのよ。この手の天体は、一気にピタッと行っちゃった方がさ。」

さすがにきまりが悪く、後頭部をぽりぽり掻くヨーコ。

「大変です! カニンガム博士も!!」

今度は、アレックスが大声を出した。

見ると、クリスがシートの上で、安らかな顔をしながら泡を噴いていた。

「キャーッ!! クリス様!」

ダニーは、ヤマダなどそっちのけで悲鳴を上げた。

その様子を横目で見て、ヨーコは意地悪そうにペロっと舌を出した。こっちに対しては、全く悪いことをしたという態度ではなかった。

「え、少佐。ひょっとしてわざと…? 何てことを…。つか、座席位置でG変えるなんて、器用だな!あんた。」

アレックスは、すっかりあきれかえった。

「気のせいよ、気のせい。それより、変態博士はこの後必要でしょ。ちょっと貸しなさい。」

ヨーコは、無重力状態でダニーに看護されているクリスの襟首を掴み、自分の方に引き寄せると、両肩を掴んで思い切り肩甲骨の間に膝蹴りを入れた。

「げふっ」

クリスは、意識を取り戻したが、状況が掴めず目をパチクリさせていた。

「ちょっと、あんた! 寝てんじゃないわよ。仕事よ、仕事。」

「少佐は鬼だ…。」

もはや、アレックスはヨーコにかける言葉もなかった。

「カニンガム博士。寝起きのところ申し訳ないけど、目標天体へのレーザー照射を開始してくれ。」

宇宙船のGにもその後の失神騒ぎにも動じていなかったソフィは、淡々と指示を出した。

「あ…ああ、すぐ始める。任せとけ!」

ようやく立ち直ったクリスは、例によって、自信満々の表情で親指を立てた。口元からはヨダレが垂れていたけれど…。

「それにしても、ソフィ。あなたよく平気ねえ。私でさえ、頭がガンガンしてるのに。」

ダニーは、人差し指と親指で瞼の上を押さえ、眉間に皺を寄せながら言った。

「知らないの?子どもは絶叫マシンが大好きなんだ。」

ソフィは、さらりと言い切った。

クリスは、無重力の中、上手に壁を蹴って、その反動でシートに戻った。この辺は、さすが経験豊富なアストロノーツである。(そのベテランを失神させたヨーコもすごいが…。)そして、シートに座る前、副操縦席に座るアレックスの耳元に一言。

「アレックス君。今回は、オレが一歩リードだ。そう簡単に少佐は譲れないからな。」

完全に意味不明な勝利宣言。おかしな連中ばかりで、アレックスは気が変になりそうだった。

 

 

「カニンガム博士。ダニーの分析よると、目標天体表面の構成物質は鉄。だから、あくまでも鉄という想定で作業を進めるけど、なにせ得体の知れない天体だ。石橋を叩くように、慎重モードでお願いしたい。」

ソフィは、クリスに釘を刺した。

「了解。じゃあ、出力抑えめで行くよ。それにしても、目が回りそうだな。こりゃあ…」

クリスのシートに設置されているレーザーの照準用モニターには、目標天体の回転軸を中心とした映像が表示されているのだが、1分間に70回転という微妙な回転数は、確かに平衡感覚をおかしくしそうだった。

「よし、とりあえず、(予定の)半分くらいの出力で行ってみるか。」

この宇宙船に搭載されたレーザー照射器は全部で6基。鉄のような電子を励起しにくい物質をプラズマ化するには、高強度のレーザーが必要であるが、それを推進力に変えるためには広範囲への照射が要求される。そのため、6基に分散して強度と照射面積のバランスを調整できるようなシステムになっていた。

「ヨーコ。プラズマ放射が始まると、目標天体は少しずつ軌道を変えるはずだ。船の位置もマメに修正して、定位置を保ってくれ。」

ヨーコに操船の指示を出すソフィ。

「了解! アレックス、頼んだわよ。」

「なんで、僕一人でやるみたいになってるんですか。交代でしょ?」

目標天体の軌道修正は、最短でもこれから10日以上は続く。アレックス一人に任されたら、とてもじゃないけど身が保たなかった。

「照射、開始。」

クリスは、そんな言い合いなどはよそに、レーザーの照射を開始した。

レーザーは、アニメや映画のように派手は音や反動は無く、標的である回転軸の中心をパッと照らすだけだった。ただし、その光量は凄まじく、モニター越しでも目がどうにかなりそうなくらいまばゆかった。

「さて、どうなるかな?」

ジョーンズは、少し身を乗り出して、目を細めながらモニターを見つめた。

「照射部分の温度変化が始まりました。1000ケルビン、1500、2000…。目標天体の表面融解を確認。」

オペレーターのイワシミズは、状況を逐一報告。

「待て、なんか変だぞ…。」

クリスは、レーザー照射部分に異変を感じた。

次の瞬間、ヨーコの野性的な勘が働く。

「回避運動! 全員、何かに捕まって!!」

言うや否や、ヨーコは操縦桿を思い切り引っ張り、宇宙船を右後方に退避させた。

その直後、レーザーを照射した箇所から強烈な紫色の炎が吹き上げ、宇宙船が元いた場所を直撃した。

無重力での急激な回避運動に、ブリッジ内の全員が体勢を崩した。それでも何とかシートにしがみついたが、気を失っていたヤマダは、そこから放り出されて宙に舞った。

「ヤマダちゃん!?」

一番近くにいたダニーが、足を掴もうと手を伸ばしたが、間に合わず、ヤマダは背中から激しく天井にぶつかった。

「…ん、んん。あれ、ここは…?」

朦朧としながらも、ヤマダは意識を取り戻した。

「よかった、ヤマダちゃん。気がついたのね。」

「キャーッ!なんですか?!これ。無重力??」

足をバタつかせ、慌てるヤマダ。

「天井をゆっくり蹴って。こっちへいらっしゃい。」

「あ、はい。」

ヤマダは、ダニーの言葉に従い天井を蹴った。

フラフラと降りてくるヤマダを抱きかかえるダニー。

「ありがとうございます。ダニーさん。」

「だいぶ、強くぶつかってたけど、怪我は無いか?ヤマダ。」

ヤマダの身を案じるソフィ。

「あ、はい。背中を打ったみたいです。あたた…」

ヤマダは、腰の右側を痛そうに押さえた。

「でも、大丈夫です!」

 

「ちょっと、アンタっ。何やってんのよ?! 一歩間違えたら、全滅するところだったじゃない!!」

ブリッジの前方では、ヨーコがクリスを怒鳴りつけていた。

「いや、出力は半分に押さえていたんだ。こんなはずは…。」

クリスは、言い訳するでもなく、思いがけない結果に、ただただ驚いていた。

「この紫色の光は、鉄のプラズマじゃないわね。ひょっとしてこれは…」

険しい顔で、ダニーが言った。

「希ガスじゃないのか? アルゴンの熱プラズマは、こんな感じだぜ。」

クリスはシートから身を乗り出し、ダニーの方を見て、言った。

「そうね…。鉄の中に希ガスが多く含まれているのかも知れないわ。でも…」

ダニーは、その可能性を考えつつも、言葉を濁した。

「希ガスって、化合しにくいんじゃないの?」

ソフィが指摘する通りだった。アルゴンを含む第18族元素、すなわち希ガスは、不活性であるため他の元素と結びつきにくい。少なくとも、鉄とアルゴンの化合物は聞いたことがなかった。

「クラスレートのような形で、結合しているのかもしれないわね。前例が全く無いわけではないわ(※ただし、22世紀現在の話)。」

「だけど、もしそうなら、かえって好都合じゃないか。」

クリスは、シートに掛けたままで後ろを向きながら言った。

「うーん。確かにアルゴンならプラズマ化しやすいし、そのまんまイオンエンジンみたいなものだからな…」

釈然としない顔で答えるソフィ。

「納得いかないのね? 確かに、何から何まで異様だわ。非常識なスピード、原因不明の回転、あり得ない構成物質…。」

ソフィの心中を察するダニー。

「しかし、それが事実だ。事実を受け止め、今できることをすべきではないかね?」

ジョーンズは、キャプテンらしく、建設的な意見を述べた。

「大佐が珍しくマトモなことを言った。その通り。ボクらには、あれこれ考えている時間は無いんだ。」

「聞こえてるぞ。ソフィ君。」

「だから、聞こえないようには言ってないってば。」

「・・・・・」

言葉を失い、ジョーンズは押し黙った。

 

「ヨーコ。目標天体との距離を倍にして、回転軸を合わせてくれ。ただし、操船は穏やかに。またカニンガム博士が気絶しても面倒だから。」

「はいは〜い。」

指示には素直に従うが、反省の態度は見せないヨーコだった。

「カニンガム博士。レーザー照射を一点集中から、広範囲照射に切り替えて欲しい。強度についてはお任せする。正直、よくわからんので。」

「任せてくれ!」

やっぱり、親指を立てて応えるクリス。

「ちょっと揺れるから、みんな、シートに着いててね。」

ヨーコは、今度は慎重に操船し、目標天体の回転軸線上200メートルの位置にピタリとつけた。

「お次はオレの番。レーザー照射!!」

無駄に元気な声を上げるクリス。

今度は、中強度のレーザーを広範囲に照射した。もちろん、勢いの良いクリスのかけ声に反して、レーザー光は音もしないし反動も無いけど。地味に目標天体を照らした。

しばらくすると、目標天体の表面は熱せられ、そこから分離したガスが紫色の眩いプラズマ光を発し始めた。今度のは、先ほどのように荒れ狂ったものではなく、落ち着いて安定した光だった。

「なかなかすごいものね。これなら、期待以上の成果が得られるんじゃないかしら。」

「うん、回転軸に沿って強力な磁界を形成してくれているのも大きいな。逆電荷を形成してイオンビームの逆流を中和してくれている。」

ダニーもソフィも、良い結果が得られることを確信した。

しかし、実際に軌道をどのくらい変えられるのかは、これから数時間経過しないとわからなかった。

第3章 ファースト・ミッション

「乗船前から、この船の装備品を色々と調べていたんです。そうしたら、こんなものを見つけました。ソーラーセイルです。」

ヤマダは、メインモニターにソーラーセイルの画像データを表示した。

「今回のケースでは、ソーラーセイルは使えんぞ。目標天体の速度が速すぎるし、これだけ高速に回転してたら、巻き込まれてグシャグシャになってしまう。」

ジョーンズが、極めて一般論をほざいた。

《そんなの、全員わかってます。大佐は黙っててください。ヤマダ、続けて。》

モニター越しに、ミシェルがジョーンズをたしなめた。

「あ、はい。ありがとうございます。この、広げると1辺が50キロメートルになる巨大な“布”は、とても頑丈な素材でできていて、何があっても破れることがないと知りました。そこで、考えたのは、目標天体をこの“布”で受け止めて、その内側を滑らせるように転がすという方法です。」

ヤマダは、ポケットからハンカチとビリヤードのボールを取り出し、実演してみせた。ちなみに、ビリヤードのボールは、ヤマダがいつも持ち歩いている私物である。

「おいおい。目標天体は秒速320キロメートルで突っ込んできてるんだぞ。薄っぺらいソーラーセイルなんて、簡単に突き破ってしまうんじゃないか?」

またしても、口を挟むジョーンズ。

「いや、ソーラーセイルの支持体は、最新技術のナノチューブでできているわ。耐久性は計測不能なほど強固で、一般的な物理の力で破壊されることはまずありえない。耐熱性能も真空状態で9万度を超えるシロモノよ。」

ダニーは、ジョーンズの懸念を一蹴した。

「重要なのは、布を菱形になるように斜めに配置して、目標天体を対角線上に通すということです。これは、単純に転がる距離を長くするという意味もありますが、布の引っぱり特性を利用して弾力性を生み出すという効果も見込めます。弾力性があれば、布と目標天体の接触時間が長くなって、より大きな力を加えることができるはず。上手くいけば、減速効果もあるかも、です。」

「おもしろいアイデアだ。減速してくれれば、一石二鳥だし。」

ソフィは、概ね賛成のようだった。

「ありがとうございます!」

ソフィに褒められて、ヤマダは素直に喜んだ。

「…しかし、これには大きな問題があるな。」

「そう。欠点が二つほどあります。一つは宇宙空間には空気抵抗が無いこと。空気抵抗が無ければ、おそらく目標天体に十分な力を伝えることができません。もう一つは、どうしても1点を固定、もしくは目標天体の進行方向と反対側に引っ張らなくてはいけないということです。」

この方法は、ヤマダがピタゴラ…で球体の回転方向を明確に変更したい時に使う手法だった。しかし、空気抵抗が無い真空状態では、布がはじき飛ばされて終わりである。物理に詳しくないと言っても、ヤマダにはそのくらいのことが理解できていた。

「いや、ソーラーセイルは、太陽の光子を受けて推進力を得るから、地球の大気ほどではないが抵抗力は生じる。目標天体が高速であることを考えれば十分だろう。問題は、どうやってセイルの角を固定するか、の方だ。」

「そうですね。宇宙船で牽引とかできるといいんですけど。」

もちろん、ヤマダはあまり考えずに言っている。

「相手は秒速320キロメートルで飛んでくる推定30万メガトンの鉄の塊…。しかし、正面から受け止めるわけではないからな。目標天体がセイルに衝突した時の衝撃と光子による抵抗力。コンタクト時には、船は減速中だから、セイルの角度を調整して…」

ソフィは、何やらぶつぶつと言い始めた…。

「…ダメだな。そもそも、目標天体の侵入角度によって負荷はまるで違ってくる。高速回転していると、どの角度からセイルに接触するかも予測できない。一歩間違えば…」

「せっかくだけど、宇宙船で牽引するとかはやめといた方がいい。」

唐突に、クリスが口を挟んできた。

《カニンガム博士か。何かご意見が?》

モニタ越しにミシェル。

「いや、おそらくヤマダのお嬢ちゃんは、野球ボールをカーテンに向かって投げるくらいのイメージで言ってるんだと思うけど、目標天体の速さは秒速320キロメートル。最接近時で、この船からの相対速度にしたら秒速2600キロメートル以上で飛んでくるわけだ。そうすると、セイルと目標天体の接触時間はコンマ何秒になるんだけど、この間、目標天体がスムーズに転がらなかったらどうなる?」

「宇宙船ごとはじき飛ばされて、全員圧死だな。それは、ボクも考えた。」

ソフィは、言わずもがな、とばかりに答えた。

「そう、しかも、そうなる可能性の方が高い。」

クリスの指摘を受けて、ヤマダはしゅんとなった。

「しかし、だ。ヤマダのお嬢ちゃんの着眼点はなかなか悪くない。科学者には思いつかない発想だ。」

「本当ですか?」

打って変わって明るい表情を見せるヤマダ。

《博士には、何か妙案があるのか?》

「いや、妙案ってほどではないんだがね。ほんのコンマ何秒の推進力が欲しいなら、もっとベターな方法があるってことさ。」

 

それから2日後。

「ったく。いきなり航行プラン変えさせないでよ。めんど臭いわねえ」

操縦席で頬杖をつきながら愚痴るヨーコ。

「仕方ないですよ。船外活動するには慣性航行するしかないですから。それに、そのめんど臭い設定は全部僕がやってるんですがね…」

コンピューターを操作する片手間でヨーコの話し相手をするアレックス。

「はいはい、すみませんねぇ。でも、減速プロセスの遅延は後でキツいわよ〜」

ヨーコたちが乗船する宇宙船のように、恒星間も含めた超長距離航行を想定した宇宙船の航法は独特である。プラズマから発生するローレンツ力に頼った推進は、比推力に優れるが加速力が劣るため、緩やかな等加速度運動の連続によって高速航行を可能にしている。

例えば、5億4000万キロメートル離れた準惑星ケレスまで航行する今回のミッションでは、宇宙船は地球の重力加速度と同じ9.8メートル毎秒毎秒で加速する。そうすると、中間地点の2億7000万キロメートルでは、秒速2350キロメートルに達していることになる。同時に、船内に地球と同等の重力が形成され、安定した船内活動と乗員の健康状態が維持される。

そして、目的地で停止するためには、通常、そこから同じく9.8メートル毎秒毎秒で減速しなくてはならない。つまり、超長距離航行においては、同じ加速度で加減速する場合、進行と停止に同じだけの時間と距離が必要になるのだ。

ここに、加速度0の慣性航行を挟むと、高速状態を長く維持することになり、減速を開始するタイミングを遅らせて目的地をオーバーランするか、減速の加速度を増やして急停止するしかなくなる。後者は、乗員の負担を増大させてしまう。

「しかし、私が寝てる間にこんな話になってたなんてねえ。ヤマダちゃん、やるじゃない。」

ヨーコは、操縦席のシートを倒して背もたれ越しにヤマダに視線を送った。

ヤマダは、ニコニコ笑いながら手を振った。

「でも、カニンガム博士の功績も大きいですよ。彼のアイデアが無ければ、実現は難しかったんですから。」

クリスの株を上げるつもりも特になかったが、アレックスは彼についても一応評価しておいた。

「けっ、いいカッコしいが。まだうまく行ったわけじゃねーだろ。」

「少佐…。あんたって人は…」

 

「ソーラーセイルの展開と配置が終わったわ。後は、“支点”の設置ね。」

ダニーは、リモート操作でソーラーセイルを広げ、適正な場所に展開させた。

「“支点”は、有人の船外活動が必要だな。誰が行くんだ?ダニーか? ちなみに、ボクはサイズの合う装備が無いから無理だよ。」

ソフィはブリッジ内を見回し、問いかけた。

「オレが行こう。言い出しっぺだしな。」

そう言って、クリスが名乗りを上げた。

「まあ、クリス様ったら、私の身代わりに…」

「違うと思うよ…。」

ダニーの勘違いおのろけを、ソフィはきっぱり否定した。

クリスの考えた“支点”の固定方法は、反物質の爆発力を利用したものだった。

まず、目標天体の通過ルートを正確に導き出し、1辺が50キロメートルのソーラーセイルを垂直に設置。目標天体との接触時間が最長になるように、対角線が上下左右を向くように回転させる。これはヤマダの提案。

一番下の位置に来る角に1メガトンの金属ウェイトを取りつける。これは重力トラクター用に搭載されていたものだが、今回のミッションでは不要なので使用後には廃棄。

そして、宇宙船の燃料から微量の反物質を抽出、100メガトン程度の爆弾を作り、金属ウェイトから一定の距離に配置する。

金属ウェイトと爆弾の間には、宇宙船の補助推進機として装備されていた小型のソーラーセイルを挟む。これは、支持体に使われている堅牢なナノチューブネットによって金属ウェイトを保護するとともに、爆発力を拡散させず、効率的に受け止めるために使う。この小型ソーラーセイルは、太陽に逆行する復路では使えないため、使用後は同様に廃棄。

目標天体がソーラーセイルに接触すると同時に爆弾を起爆し、セイルの角部分をウェイトごと反対側にはじき飛ばす。これがうまく行けば、目標天体をセイル表面で滑らかに転がし、その回転軸をZ軸からX軸に変えることができるはずである。

 

クリスは、宇宙服を着た上で、ロボットのような機械に乗り込んで、減圧室に待機していた。このロボットのような機械は、腕力を強化するだけのものなので、足はついておらず、上半身だけ着込んだパワードスーツみたいなものだった。

「ハナミズキ君。準備ができたので、ハッチを開けてくれ。」

《イワシミズです。僕は5月5日の誕生花ですか?! ハッチ開きますよ。》

「おや、5月5日はハナショウブじゃなかったか?」

クリスは、宇宙船後部のハッチから、ゆっくりと船外に出た。

宇宙空間は驚くほど静寂。自分自身の吐息しか聞こえない。

《カニンガム博士。ボクだ。ソフィ・ミュラーだ。聞こえるか?》

「ああ、ばっちり聞こえるぜ。今、船外に出たところだ。静かだなあ。人類の危機が近づいているなんて、ウソみたいだ。」

まぶしいくらいの輝く星々に、クリスは見蕩れながら答えた。

《静寂で穏やかに見えてるかもしれないが、我々は秒速2350キロメートルの超高速で動いている。小さな石の破片に衝突しても命取りだからな。気をつけてくれ。なるべく、船やセイルの陰に隠れて作業するといい。》

「お気遣い、ありがたいね。でも、大丈夫。でかいソーラーセイルが守ってくれてるよ。」

ちなみに、宇宙船の外壁やセイルは強力なナノチューブに守られているので、多少の礫が衝突してもたいしたダメージは無い。特に宇宙船の外壁は、特殊セラミックの超硬質な装甲の下に柔軟性のあるナノチューブのネットを張る二重ガードによって、外部衝撃をほぼ完璧に防御していた。そうでもしなければ、秒速2000キロメートルを超える高速航行には耐えられないのだ。

《それから、目標天体の衝突まで20時間しかない。14時間以内に作業を終えてくれ。もし、間に合いそうもなかったら、ダニーを手伝いに行かせる。…うるさい、ダニー。まだ呼んでないぞ。》

「なんだ?ダニーは、嫌がってるんじゃないのか? 心配するな。船内で準備作業はほとんど終えている。あとは組み上げるだけだ。」

もちろん、ダニーは嫌がってるのではなくて、手伝いに行きたがって騒いでいたわけだが。

こうして、クリスは独りで装置の組み立てを始めた。

 

「しかし、この作戦も結局運任せだな。目標天体がどれだけ減速するかも回転軸がどれだけ傾くかも予測不能。」

ソフィは、肩をすぼめて掌を上に向け、お手上げのポーズをした。

「すみません…」

条件反射で謝るヤマダ。

「いや、そういうつもりはないんだ。他に有効な手段があるわけでもないし。」

《ソフィは、心配性だからな。ハッキリしたデータが出てこないのが気に入らないんだろ?》

突然モニターに映し出されたミシェルが言った。

「当然だ。正確な予測データが無ければ次の一手を決定できないからな。その場しのぎは命取りだよ。」

腕を組みながら、ソフィは自信に満ちた顔で答えた。

「少佐…言われてますよ。」

「は?ケンカ売ってんの?あんた。」

ヒソッと耳打ちしたアレックスに、ヨーコはムッとした顔を見せた。

《それでも、目標天体の近くで爆発を起こして方向を変えるというオレの案より、ヤマダの“旗つつみ”の方が有効だろ? 少なくとも、確実にX軸側に角度をつけられるし、減速も期待できる。》

「“旗つつみ”?なんだそれ。」

初めて聞く名称が引っかかり、聞き返すソフィ。

《いや、オレが勝手につけてみた名前だけど、それっぽいだろ? 20世紀のゴルフ漫画に出てくる技なんだが…》

「そう、それです!」

ヤマダは、モニターに映ったミシェルを指差して叫んだ。

「主人公がピン上の旗を狙ってショットするんですけど、旗に包まれたボールがそのままスルスル〜ってホールに吸い込まれていくんです。(ピタゴラ…の)マニアとしては痺れますよねぇ…。」

うっとりした顔で身をよじらせながら語るヤマダ。

《マジかよ…》

ミシェルは、名案の意外なネタ元を知らされて、閉口した。

 

そのころ、船外活動中のクリスは、金属ウェイトとソーラーセイルを接合していた。

この作業は、極めて重要かつ面倒なものだった。いくら、小型のソーラーセイルを間に挟んで保護するとはいえ、至近距離で100メガトンの爆弾が爆発するのである。金属ウェイト自体は、おそらく2〜3秒で融解してしまうだろうが、それ以前に接合部が崩壊しては意味が無い。

そこで、クリスは、ソーラーセイルそのものでポケットをつくり、その中に金属ウェイトを収納する方法を考えていた。ところが、そのポケットを作るのが、また一苦労だった。ソーラーセイルに使われている強化されたナノチューブは、事実上切断するのが不可能な素材。つまり、縫合するための穴を開けることさえもできないのだ。唯一の切断方法は、特殊な溶剤を浸透させてナノチューブを硬化させて粉砕することだったが、数十箇所でその作業を繰り返すとなると、なかなか骨の折れることだった。

「こりゃあ、かなわんなあ。やっぱり、手助けが必要だったかあ? それに、この光景、最初は見蕩れたけど、冷静に考えるとゾッとするねぇ…。」

クリスの立場、というか位置から見た宇宙は、一見静寂で美しいものだったが、止まって見えるのは遠くの星々だけであって、近くに浮遊する塵や石ころレベルの天体は、凄まじいスピードでビームのように通過していた。

「くそぅ。あんなのに直撃されたらひとたまりも無いぜ。」

さらに、ソーラーセイルからも、ビリビリといった強烈な振動が、作業する手に時折伝わってきていた。塵や礫などの小天体が、セイルに衝突しているからに他ならない。秒速2350キロメートルは、最も高速なライフル弾の初速×2000倍以上。音速に直すとマッハ8000を超える。静寂どころか、マフィア同士の銃撃戦に巻き込まれた方が、よほど安全な状況なのだ。

それは、クリスが、ふと気を抜いた瞬間だった。ソーラーセイルに開けた穴の一つから米粒サイズの小石が飛び込んできた。いや、厳密に言うと、それは肉眼で捉えきれるスピードではないのだが、穴の大きさから察するに、そのくらいのサイズが妥当であろう。

その小石は、パワードスーツの電気ケーブルを無惨に引きちぎった。

「しまった!」

(…しかし、あり得るのかねえ?確率的に考えて)

 

「ん?」

特にすることもなく、ブリッジでゴロゴロしていたヨーコが、直感的に何かを感じ取った。

「どうしたんですか?少佐」

「いや、ソーラーセイルって太陽光を受けて推進するのよね? なんで、今、加速してないの?」

ヨーコの疑問はもっともだった。ソーラーセイルが加速しているなら、慣性航行中の宇宙船を追い抜いて、どんどん先に進んでしまうはずである。

「極めて都合のいい話なんだが、位置関係で火星の陰に隠れているから、現在太陽光は届いていないんだ。しかし、心配するな。目標天体との接触時には、ちゃんと(太陽光が)届いてるから。」

ソフィの説明は、説得力があるようで、実はそれほどでもなかった。

「確かに都合のいい話…。それにしても暇ねえ。」

「カニンガム博士の作業待ちですからね。今後の航行プランも、“旗つつみ”の結果如何ですから。」

「ったく。何をぐずぐずやってんのよ〜。あの変態は」

ヨーコは、クリスが晒されている危機など知りもせず、グダグダと文句を言っていた。

「ソフィもやることないんだったら、ちょっとは休んどきなさい。アタシは起きてるし、ヒューストンともつながってるから平気でしょ? 何かあったら起こすし。」

ダニーは、出航以来ほとんど寝ていないソフィを気遣った。

「そうだな。じゃあ、しばらく頼んだ…」

言ってる途中で、ソフィは寝落ちてしまった。

「あらあら、相当疲れてたのね。本当、寝顔だけはかわいいんだから。」

「本当ですねー。」

ダニーとヤマダは、ソフィの寝顔を覗き込んでクスリと笑った。

「ヤマダちゃんも今のうちに寝ときなさい。寝れるとき寝とかないと、身が保たないわ。」

「はい」

「ジョーンズちゃんも…」

ジョーンズは、すでに寝ていた。

「あー、大佐なら、4時間くらい前から寝てたわよ。」

後ろを振り向いてダニーに教えるヨーコ。

「き、気づかなかったわ…」

船長のあまりの存在感の無さに、ダニーは戦慄した。

「アレックス。アンタも寝ときなさい。私が寝たい時に起きててくれないと困るから。」

「はいはい。」

珍しく部下を気づかう(?)ヨーコに、アレックスはまんざらでもない顔で答えた。

 

 

しばらくすると、クリスが船外活動から戻ってきた。

「おーい、待たせたな。通信系統をやられたんで、途中連絡できなくてすまなかった…って、みんな寝てんのかよ!?」

ダニーも、いつの間にか寝落ちていたが、ヨーコだけは起きていた。

「ち、戻って来たか。死亡フラグ出まくってたくせに…」

「少佐!オレのために起きていてくれたのか。うれしいねえ。」

クリスは、抱きしめてくれと言わんばかりに両手を広げ、ヨーコに近づいてきた。

「…で、今なんか言った?」

「いやあ。死亡フラグ出まくってたくせに、戻ってきやがったのか?…ってね。」

ヨーコの発言はブレない。

「ん…、ああ、カニンガム博士。戻られましたか。」

二人のやり取りを耳にしてアレックスは目を覚ました。

「おう、バッチリ仕上げてきたぜ!」

クリスは、得意顔でアレックスの肩をポンと叩いた。

「ハイ、みんな起きてー!! 作業終わったそうよ!」

ヨーコが大声で呼びかけると、皆ムクリと起き始めた。

「ふぁ〜あ。あぁ、カニンガム博士、ご苦労さま。何か問題はなかった?」

ソフィは、大きなあくびをしながら、クリスに尋ねた。

「途中、通信ケーブルをやられたが、特に問題はない。」

クリスは、親指をグッと立てて、キザったらしくウィンクした。

「よかった、クリス様。無事戻ってきたのね!」

ダニーも目を覚まし、寝ぼけがてらどさくさまぎれにクリスにハグした。

「HaHaHa、ダニーは大げさだな。」

という言葉とは裏腹に、必死でダニーを引きはがすクリスだった。

 

「さて、のんびりと慣性航行を楽しんでたんだから、減速はちょっとキツいわよ。」

「いや、“のんびり”って、オレ死にそうだったんだけど…」

ヨーコにとって、クリスの苦労など知ったことではなかった。

「これから、準惑星ケレスを目指して減速航行に入りますが、現時点で毎秒2350キロメートルもかましているので、予定通りのマイナス9.8メートル毎秒毎秒の加速度で減速すると、目標を9750万キロメートルもオーバーしてしまいます。」

ヨーコは、航宙図をモニターに映し、現状を説明した。

「予定通りケレスの手前で十分な減速状態にするためには、マイナス15メートル毎秒毎秒で減速しなくてはなりません。えー、つまり、このブリッジ内に、地球の約1.5倍の重力がかかります。もちろん、命に関わるようなものではありませんが、24時間程度続きますから、頭痛、貧血、腰痛、歯痛など微妙な症状が出る人もあるかもしれません。」

それぞれ、ソフィ=頭痛、ヤマダ=貧血、ジョーンズ=腰痛、ダニー=歯痛がビクッとなった。

「脚もムクむわよ〜。ヤマダちゃん」

「いやです!そんなの困ります!!」

「だまらっしゃい!」

ヤマダのわがままなどものともしなかった。

「それは、まあ、まだ序の口。秒速10キロメートルまで減速した後、準惑星ケレスの重力を利用して、船体を180度急旋回、いわゆる重力アシストを行います。ハイ、この中で重力アシスト未経験の人〜。」

ヤマダだけが手を挙げた。

「まあ、惑星間航行を経験した人は、だいたい体験済みよね。初めての人たちには、ちょっとキツいかも知れないけど、まあ死にはしないわ。」

ヨーコは、ちょっと意地悪そうにニヤリと笑って言った。

「重力アシストって、そんなに大変なんですか?」

ヤマダは、不安げな顔をしてソフィに耳打ちした。

「どうということはないよ。ちょっと過激なジェットコースターみたいなもん。」

ソフィも冷たかった。

「ところでヨーコ。その重力アシストの件でちょっと提案があるんだが…」

「なーに?ソフィ。」

ご機嫌な顔のヨーコ。

「我々は、のんびりと高速で慣性航行を楽しんだ上に通常よりも速いペースで減速するわけだから、予定よりもだいぶ早く目標天体に追いつくことになると思う。そこで、乗員に負担の大きい重力アシストはやめようと思うんだ。」

考えもしなかった提案をソフィから聞いて、ヨーコは一瞬で露骨な不満顔になった。

「ええ〜っ?!」

「いや、実は何度計算し直しても、重力アシストを使うメリットがほとんど無いんだ。そもそも、重力アシストを使う理由は、燃料の節約と手っ取り早く船体の速度と方向を変えることなんだが、比推力も加速も優れている反物質エンジンの場合、一旦停止してから方向転換した方が効率がいい。しかも、ケレス程度の重力では、方向を変えるにしても、そのきっかけを作るくらいにしか使えないんだよ。」

ソフィが言うことはもっともで、実際、重力アシストを使って短縮できる時間は数十分程度だったし、燃料に至っては積載量のゼロコンマ数パーセントしか節約できなかった。むしろ、惑星の重力から脱出する時にブースターを使った場合(パワードスイングバイ)、その燃料が無駄遣いになってしまう。

「ああ、それについては、オレも同感だ。反物質エンジンを使った恒星間航行の場合、元々重力アシストは全く想定していないんだ。今回みたいな中途半端な距離の場合、あるいは必要なのか?とも思っていたのだけどね。」

クリスが、ダメ押しの一言を言った。

「わかったわよ。」

ヨーコは、がっくりと肩を落とした。

「ソフィさん。ヨーコさんは、どうしてあんなに残念そうなの?」

ヤマダは、ソフィにこっそりと聞いた。

「ヨーコは元々スピード狂の戦闘機乗りだからな。重力アシストのスリリングな加速(正確には重力離脱時の加速)が楽しみだったんだろう。」

ソフィも、ひそひそ声で答えた。

「ああ、もう。また、航行プランの書き換えしなきゃいけないじゃないの!」

ヨーコは少し声を荒げた。

航行プランは、乗員の負担を極力少なくした上で、燃料・時間などを考慮し総合的に導き出すものだから、他のクルーがこれに口を出すことは、あまり行儀の良いことではない。

だから、ソフィも少々後ろめたさを感じていた。

「すまん、ヨーコ。余計な手間をかけさせてしまうな。」

「…。気にしなくていいわ、ソフィ。このミッションの後半は、何が起こるかわからないのが前提だもんね。まあ、前半も十分イレギュラーだったけど。臨機応変。実質、指揮権を持ってるあんたに従うわ。」

ヨーコは「やれやれ」といった顔で答えた。

そこへ、ジョーンズが唐突に口を割り込ませてきた。

「うおっほん。そうだな。私もそれがいいと思う。」

取ってつけたようなソフィへの賛同。

「は?」

怪訝そうな顔をするヨーコ。

「少佐…、マズいですよ。大佐の前でこれ見よがしに“実質、指揮権”とか言っちゃあ。」

アレックスは、ヒソヒソ声でヨーコに苦言を呈した。

ヨーコは、それを聞いて、「ああ、なるほどね」という顔になった。

「実質指揮権を持ってるソフィとミッションディレクターのミシェルに従うわ。」

ヨーコの訂正は、身も蓋もなかった。

 

 

「では、今から減速航行を開始します。無重力から重力環境に移行する際は、不安定になるので各自シートロックを固定してください。」

乗員に警告を告げるアレックス。

今更説明すると、この船のブリッジは、船内で360度自由な方向に回転できるようになっている。これは、航行状態によって有人スペースに最適な角度が、それぞれ違うからだ。例えば、加速時には、前方から後方に重力が発生するので、進行方向に天井が来るように角度調整するし、減速時には、逆に進行方向に床が来るようになっている。重力アシスト時には、やはり前方から後方に重力が発生するのだが、運動中に重力が変化するので、シートベルトで身体を固定しつつ正面を向くことになる。

なお、慣性航行の期間が長い場合、クルーは遠心力を利用した人口重力ブロック(居住ブロック)に極力退避するようにし、長期間の無重力状態で健康を害さないような配慮が必要になる。

 

減速運動を開始すると、少しずつ重力が発生、宙に舞っていたヤマダの長い髪が徐々に垂れてきて、ユニフォームの袖や襟も重みを帯びて肌に貼り付くのがわかった。それよりも、モニターに映る“旗つつみ”の装置が、少しずつ前方に移動していくのに、ヤマダは違和感を感じた。

装置は秒速2350キロメートルで前進し続け、宇宙船は15メートル毎秒毎秒で減速している。装置が前に移動して見えるのは当然のことなのだが、身体にのしかかる重力を考えると、自分たちが加速しているような感覚で、とにかく不思議だった。

「重力安定したから、もうロック外して歩き回ってもいいわよ。できるものならね。」

ヨーコは意味深にそう言うと、すっと立ち上がり平然とブリッジ後方のドリンクコーナーに歩いて行った。

「はぁ、無重力もいいけど、やっぱり下に引っ張られてる方が安心しますねぇ。」

ヤマダは、伸びをしようとして腕を持ち上げたが、まるで自分の腕ではないみたいに重かった。そこで、立ち上がろうとしてみたが、腰がちょっと浮いた段階でめまいがしたので、諦めた。

「な、なんなんですか? これは…」

青ざめた顔で呼吸を乱すヤマダ。

「慣性航行で、10時間ほど無重力状態にいたからな。通常の重力でもキツいのに1.5Gではこんなもんだ。まあ、おとなしく座ってれば、そのうち慣れるよ。」

ソフィは、慣れたもので落ち着いていて、あえて立ち上がろうともしなかった。

「アタシらは訓練されてるからヘッチャラだけどね。一般人は慣れるのに、丸一日かかるわ。まあ、その間はダラダラしてなさい。」

ドリンクパックを片手に、余裕しゃくしゃくで歩いて操縦席に戻るヨーコ。

「訓練してても、普通は立てませんよ。少佐は特別、いや異常です。」

「根性が足りない!」

ヨーコは、泣き言を言うアレックスの頭をドリンクボトルで小突いた。

「てっ」

とにかく、ヨーコ以外のクルーたちは、しばらくの間、シートに縛りつけられたような状態で過ごすことになった。

 

 

─それから、20時間後─

「閃光確認しました。接触したようです。」

オペレーターのイワシミズが、はるか1400万キロメートル前方に閃光を捉えた。

“旗つつみ”の装置と目標の天体が接触したのだ。

「結構明るいな。」

ジョーンズは、身を乗り出してモニターの画像を食い入るように見た。

「距離があるとはいえ、100メガトンの爆発だからな。しかも、反物質の爆発は、核よりも密度が濃くて明るいんだ。」

自分の仕事結果を得意顔で語るクリス。

「微妙に横に伸びてる光は、セイルとの摩擦光かしらね?」

ダニーは、目標天体とソーラーセイルが激しく擦れ合ったであろうことを推察した。

「回転と速度は捕捉できたのか?」

「いや、無理だろう。遠方とはいえ、目標天体とこの船の相対速度は秒速1500キロメートル近いからな。ハッブルに任せた方がいい。」

結論を急かすジョーンズに、ソフィは淡々と答えた。

ちなみに、ここで言う「ハッブル」とは、ハッブル宇宙望遠鏡のことである。ただし、この時代のハッブルは22代目。膨大な数の宇宙望遠鏡や観測機器を統合した全方位宇宙観測システムの総称で、高画質、ハイスピードで、全宇宙を記録し続けている。目標の天体を最初に発見したのも、この観測システムだった。

「うまくいってるかなあ。ドキドキしますね。」

ヤマダは、目を爛々と輝かせていた。

「ボクは、うまくいってないんじゃないかと思ってドキドキ…いや、なんでもない。」

ソフィは、珍しく弱気だった。

 

─約1時間後─

《こちら、ヒューストンだ。ハッブルのデータ解析が完了した。》

「ミシェルか?どうだった?!」

ジョーンズは、身を乗り出した。

《まず、進行方向は、残念ながら変化が無かった。いまだ地球まで一直線のコースをとっている。》

ソフィたちも、進行方向までは変えられると思っていなかったので、これは想定の範囲内だった。

《次は、速度。これもダメだった。現在、秒速320キロメートルと変わらず、だ。》

これもダメで元々、それほど期待はしていなかったが、全く効果が無いとなると、皆落胆の色を隠せなかった。

《そして、回転方向。》

一番、重要なところである。

《回転方向は、概ね横回転に変わった。回転数は、毎分約70回転前後。進行方向から見て太陽側に17度ほど引っ張られ、水平も6度ほど角度が出てしまったが、たいした問題ではないだろう。》

「やったか!!」

思わずガッツポーズで叫ぶジョーンズ。

「やったぁ!!」

ヤマダは、立ち上がってソフィやダニーとハイタッチなどしようととしたが、(1.5Gの重力のせいで)めまいがしたのでそのままシートにへたり込んだ。

「ふう…、よかった。これで軌道が変えられるよ…。」

座ったままで、ソフィは安堵のため息をもらした。

《そもそも回転が起こった理由もわかっていないし、今後の変化もありうる。手放しに安心はできないな。しかし、とにかく、ひとまずは…。よかったな、ソフィ。》

「ヤマダのおかげだよ。」

ソフィは、少しだけ口元を緩めながら、親指を立ててミシェルに答えた。