「さて、と。当船はそろそろスピード0になります。重力も無くなりますのでご注意ください。」
まるで、バスの運転手のような口調のヨーコ。かなり、やる気が無い。
「15分くらい停船しよう。復路も1.5Gで航行するから、食事やトイレは、今のうちに済ませておくように。」
ジョーンズなど完全に差し置いて、ブリッジを仕切るソフィ。
「まるで、小学校の遠足ねえ…。」
ヨーコは、不満たらたらで、モニターに映った準惑星ケレスを眺めていた。
「仕方ないでしょう。ソフィの言う通り、ケレスはアシストに使うには重力不足です。やるとしたら、ケツ振りながらで強引に方向転換しなきゃいけなくなる。そんなのを高速でやったら、死人が出ますよ。」
「わかってるわよ、そんなことは。あんた、“仕方ない”が多すぎよ。」
正論を語るアレックスに、少々逆ギレするヨーコだった。
「この星、ケレスって言うんですね。もぐもぐ」
「ヤマダはケレスを知らなかったのか?ぱくぱく」
ソフィとヤマダは、シートに座ったまま、一緒に食事をしながら話していた。
食事と言っても、無重力で食べられるようなカロリーブロックやゼリー飲料など。お世辞にも美味しいとは言えないが、丸1日ろくに食事を摂れなかったから、ヤマダはそれなりに美味しく感じていた。
「惑星と言ったら、水金地火木土天海、だと思ってました。」
「それとは別に、“準惑星”というのがあって、代表的なものには、冥王星、ハウメア、マケマケ、エリス、それからケレスがある。ケレスは、19世紀初めに準惑星の中ではもっとも早く発見されたんだんだが、意外と知られてないな。」
「私、初めて聞きました。ここでUターンする予定だったんですよね?」
「Uターン…。まあ、“重力アシスト”というよりは“Uターン”の方が妥当か。」
「でも、星が小さすぎてそれができない…?」
「地球に接近する天体にランデブーするのは意外と厄介なんだ。正面から突っ込むわけにはいかないから、目標天体に対して背後から追いかけて取り付かなくてはならないんだけど、宇宙船は地球から発進するので、どこかで反転しなくてはならない。ところが、ヤマダも体感した通り、宇宙船は簡単に止まれないし方向転換もできなかったりする。で、苦肉の策として使われてきたのが、天体の重力を利用して方向を変える方法だったんだ。」
「それが、重力アシストですね?」
「そう、でも、ケレスは直径が1000キロメートルもないし、質量も月の100分の1程度だから、そもそも役不足なんだよ。よく考えたら、ミシェルも『重力アシストしろ』とは一言も言ってなかったしな。ヨーコが妙にこだわるから、やってみてもいいんじゃないかとも思ったんだけどさ…」
「 っさいわねえ。 聞こえてるわよ。」
二人の会話に聞き耳を立てていたヨーコが噛みついてきた。
「いや、別に聞こえないようには話してないし。」
「そう?なら、いいけど。」
ヨーコは、すぐに噛みつくけどあまり深追いはしない。ソフィはソフィで、つまらない言い訳はしなかった。それが二人の信頼関係。水と油のような間逆の性格が、互いを尊重し上手く協力し合える秘訣だった。
†
「さて、食事もトイレも終えたところで、そろそろ目標天体に向かおう。ボクの方で話を進めてしまって構わないか?大佐」
「ああ、頼んだ。ソフィ君」
この段階になると、ジョーンズは、いてもいなくても、どうでもいい存在と言って過言ではなかったが、ソフィは一応伺いを立てておいた。
「今後の航行プランだが、少々ややこしいことになる。 秒速320キロメートルで移動する天体へのランデブーという、前代未聞ミッションを行うのだから、当然だけどな。」
ソフィは、モニターに目標天体と宇宙船の現在地を示した太陽系図を表示した。
「まず、目標天体だが、現在、当船から約6185万キロメートルの位置を地球に向かって進行中。我々はこれを追うために、まずは15メートル毎秒毎秒で、27時間かけて秒速1450キロメートルまで加速しなくてはならない。」
ソフィは、モニター上で、宇宙船のグラフィックを経過ポイントまで移動させた。
「そこからは、目標天体と同じ秒速320キロメートルに速度を合わせるため、今度は15メートル毎秒毎秒で減速。21時間かけて目標天体に到達する。」
そう言うと、図上の宇宙船をゆっくりと動かし、目標天体へ到達させた。
「秒速1450キロメートルか。行きに比べると、最高速はずいぶん遅いんだな。」
ジョーンズが、何となく思ったことをボソっと言った。
「ふぅ…。」
ソフィは「やれやれ」といった感じでため息をついた。
「それは、長距離航行を行う以上回避できない問題だ。最高速度は、減速航行を行う距離と時間に制約される。もし、それを上げたいならば、加速度を増やすしかない。例えば、2Gにする、とかな。」
その話を聞いて、「無理無理」と首を横に振るヤマダ。
「まあ、もっとも、往路でも2Gで減速することは考えたのだが、肉体的な負担が、やはり大き過ぎる。我々が接近するまでに、目標天体が1億キロメートル以上も前進してしまうことにも、歯がゆさを感じずにいられない。しかし、“旗つつみ”を実現したり、正確にランデブーするためには必要なロスだと思うよ。トレードオフと考えるしかないな。」
「いやっ、そうだな。すまない、続けてくれ。」
ジョーンズは、きまり悪そうに引っ込んだ。
「目標天体に接近した後は、ヨーコの出番だ。目標天体の右側面に回り、回転軸の軸線上100メートルの位置にランデブーしてほしい。かなり至近距離だけど、レーザー照射を効果的に行うためには必要なんだ。」
「ちょろいもんよ。まかせといて。」
ヨーコは、自信満々に答えた。
「そして、回転軸の中心に、高強度レーザーを照射。これは、レーザーの扱いに一日の長がある、カニンガム博士にお願いしていいだろうか?」
ソフィは、クリスの方にチラリと目をやった。
「まかせてくれ。レーザーは反物質エンジンの出力とも関係してくるからな。」
クリスは、ソフィの方を振り返り、2本指でキザったらしく敬礼してみせた。
「レーザーの照射を受けると、目標天体の表面はプラズマ化し、推進力が発生する。それによって目標天体の軌道を逸らすというわけだ。」
モニターには、宇宙船からのレーザーによって、目標の天体がいとも簡単に動かされるグラフィックが表示された。
「ちょっと、いいかしら?」
話の途中で、今度はダニーが口を挟んできた。
「なんだ?ダニー」
「レーザーを照射して表面をプラズマ化、というけど、それは表面が鉄であるという前提よね? そう予想したのは私だけど、あくまでも推測でしかない。もしも、鉄よりも堅牢でプラズマ化しにくい物質だとしたら、どうするつもり?」
「ダニーの懸念はもっともだ。しかし、反物質の恩恵もあって、レーザー強度はかなり高めることが可能。仮に鉄以外の物質だとしても、たいていはプラズマ化できると思う。もし、無理だったら、別の方法を考えるまでだね。」
「行き当たりばったりなのねぇ。」
ダニーは、軽くため息をついた。
「何から何まで不確定なんだから、その時のベストを尽くすしかないよ。」
小惑星とも彗星ともつかない未知の天体。物理の法則を無視した異常な回転。構成物質もわからない。何もかも手探りで進めるしかないミッションだった。
「あのー、私はいったい何をすれば?」
ヤマダが挙手質問した。
「ヤマダは…特に何も無い。今後も、問題が起こらなければ、何もすること無いんじゃないかな?」
ヤマダに何かすべきことがあるというのは、ソフィを始めとして、ここにいる全員がお手上げ状態になった時。最後の望み、神頼みの相手がヤマダなのだ。ソフィは、今後、そのような事態に直面しないことを、心から祈っていた。
「と、まあ、こんな具合なんだが、ミシェルはどう思う?」
《いいんじゃないか? 他にやり方が無いわけでもないけど、何がベストかは決めかねる状況だしな。》
モニター越しにミシェル。
「気に入らないなあ。もっといいアイデアがあるみたいな言い方じゃないか。」
ソフィは、不満げな顔で、ミシェルに文句を言った。
《いや、現場にいるお前が決めた方がベターだろ。オレの言うことなんて、いちいち気にするな。》
だったら、妙な含みがある言い方するなよ、と思ったソフィだったが、そんなことで言い争っている暇はなかった。
「ヨーコ、時間が惜しい。出発しよう。」
「了解。重力来るから、全員シートに着いててね。」
宇宙船は、ゆっくりと速度を上げ、準惑星ケレスを後にした。
†
─その頃、ジョンソン宇宙センター(ヒューストン)─
「ふう、目標天体の衝突予定まで、あと14日か。本番は、まだまだこれからなのに、どっと疲れたな。」
ネクタイを緩め、デスクの上に足を投げ出すミシェル。
「あまり寝てないんじゃないですか?ミシェル。はい、コーヒー。」
温かいコーヒーをミシェルのデスクに置き、声を掛けてきたのはミミ・ラーナー。亜麻色のショートヘアーが似合う、少し年上の女性オペレーターだった。
「君がコーヒーを淹れてくれるなんて、珍しいな。」
「ええ、今日は特別です。かなりお疲れのようでしたから。あまり無理はしないでくださいね。」
あまり寝てないことについて「無理をするな」と言うのは、つまり「少しは寝ろ」と言ってくれているのだろうが、ならばどうしてコーヒーなんて持ってくるのだろう?と疑問に思うミシェルだった。寝て欲しいのか寝て欲しくないのか…。しかし、難題が一段落した後の温かいコーヒーはありがたいものだった。
「君は、ちゃんと休めているのか?」
コーヒーを飲みながら、ミミに話しかけるミシェル。
「ええ、娘を迎えにいかなくちゃならないから、私は定時で上がらせてもらっています。」
ミミは、自分のデスクに置いてあるフォトフレーム(ちなみに3Dホログラム)をミシェルに見せ、ニッコリと笑った。
「かわいらしいお嬢ちゃんだな。」
「ありがとうございます。」
あと2週間で人類が滅びるかも知れないというのに、人々の日常は続き、母親は子どもの未来を信じて、毎日送り迎えを続けてる…。ミミのように、内部事情を熟知していれば、状況がかなり厳しいことは理解しているはずなのだが…。
滅ぶかも知れないという現実が大きく立ちはだかる一方で、助かるかも知れないという可能性もあるから、安易に自暴自棄にもなれない。だから、滅びる直前まで今日と同じ毎日を繰り返すのだろうか。
しかし、滅亡の恐怖を前にして、自棄になる人たちもいる。きっと、現実的にはそういう人たちの方が多いだろう。人々が自棄になり、社会システムが崩壊すれば、“人類が滅ばなかった時”のリスクは計り知れない。ミシェルはこの点も強く懸念していた。
それは、北米連合大統領を始めとした各国政府のトップも同様で、天体の衝突に関しては、関係者以外に一切語られていなかった。
「ミシェル君、お疲れか?」
少しウトウトしていたミシェルだったが、聞き覚えのある声を聞いて、デスクの上に乗せていた足を下ろした。
「これは副長官。わざわざ…」
「いや、そのままで構わん。」
椅子から立とうとしたミシェルだったが、副長官の言葉に甘えてそのまま座り直した。
「ヤマダの機転に救われたこともあって、思いのほか順調ですよ。これから、目標に接近し、ランデブーします。」
「ふむ、面接で初めて見た時はどうしたものかと思ったが、噂に違わぬ才能の持ち主のようだな。」
「私も、こんなに早く活躍してもらえるとは思えませんでしたがね。しかし、まあ…」
「…何だね?」
副長官は、言葉を濁したミシェルに問いただした。
「いや、まだまだ余談を許さない状況です。軌道を変えられるかどうかはやってみないとわかりませんし、物理的に説明のつかない回転運動も未解明のまま。このまますんなりとはいかないでしょうね。」
「ミシェル君、くどいようだが、“できなかった”ではすまされないのだぞ。」
「わかってますよ。“任せてください”と言わざるを得ないんでしょう。言われなくても、死ぬ気でやってます。」
ミシェルは、副長官の脅しめいた言い方にイラ立ちを隠せなかった。
「しかし、本当にダメな時は、すぐに連絡しろ。」
「どういうことです?」
「我々は月の裏側に2年間居住できる環境を用意している。安心しろ。君の寝床も残してある。」
副長官は、周囲に聞こえないように、ミシェルの耳元でこっそりとつぶやいた。
「!?…自分たちだけ逃げる気ですか?」
「種と文明を存続させるためだ。当然だろ。」
そう言い残して、副長官は立ち去った。
ミシェルは、再びデスクの上に足を乗せ、思わず「ちっ」と舌打ちをした。
気づいたら、斜め前の席に座るミミが、振り返ってミシェルの顔をじっと見ていた。
恐怖と侮辱が入り交じったような嫌な表情。
「聞こえてたのか…。」
「今の話、本当なの?ミシェル」
「たぶん、ね…。でも、心配するなよ、ミミ。僕はどこにも逃げない。100億の人類を見捨てて、おめおめと生き続けるほど強いハートは持ち合わせちゃいないからな。」
自嘲気味に笑うミシェルを見て、ミミは少しだけ安堵した。
「だいたい、あんなのが地球に衝突したら、2年くらいで済むもんか…」
†
「だんだん肉眼でも形がわかるようになってきたな。そろそろか?」
ジョーンズが、モニターを見ながら言った。
厳密に言うとモニター越しで見ているのだから、肉眼でもなんでもないのだが、そこをいちいちツッコむ者はいなかった。
「あと1時間ってところだな。そろそろ、仮眠をとってるカニンガム博士たちを起こそう。」
誰に対してというわけでもなく、ソフィが言った。
「あ、私呼んできます。」
そう言って、ヤマダはシートからスッと立ち上がった。
「あらまあ、ヤマダちゃん。歩けるようになったのね?!」
1.5Gの重力の中、普通に歩いているヤマダに驚くダニー。
「ええ、まだちょっと身体が重い感じですけど、なんとか。」
「そりゃ重いわよ。ヤマダちゃんの体重だと、今75キログラムを支えているようなものだものねぇ。」
「えーと、今は体重が1.5倍だから…。」
頭の中で計算してみるヤマダ。
「…!? ダニーさん、ヒドいです。私、そんなに重くありません!」
ヤマダは、顔を紅潮させ、ダニーの肩をポカポカ叩きつつ、そのまま居住ブロックにクリスとアレックスを呼びに行った。
「やっぱり、いいわねぇ。若い女の子がいると華やいで。」
ダニーは、ヤマダとのガールズトークにすっかりご満悦だった。
ヨーコとソフィは、何か主張してやりたかったが、墓穴を掘りそうなのでやめといた。
《ミ…シェルだ。あれ、…な…んだ?おかしいぞ。》
「ヴィシソワーズ、通信異常だ。確認してくれ。」
ソフィは、オペレーターに指示を出した。
「イワシミズです。僕はトマトの冷静スープですか?! …確認します。」
(それはガスパッチョ。)
しかし、ソフィもいちいちツッコんでいる場合ではなかった。
《いや、周波数を変えた。どうやら、目標天体周辺の磁気が乱れているようだな。》
音声は戻ったが、映像はノイズまじりだった。
「磁気異常? これまでそんなものは確認できなかったはずだけど…」
異常事態の連続に、ソフィは少しイラっとした顔を見せた。
《目標天体が太陽に近づいてるから、電離現象が起こってるのかも知れない。ここ数ヶ月、太陽活動も活発化してるし。目標天体の回転運動も関係している可能性があるかもな。》
「あのな、ミシェル。憶測で言うのはやめてくれないか? ただでさえ状況予測が難しいんだ。原因はきっちり究明してくれないと困る。」
《こちらでも全力で分析に当たっているが、情報が少なくて手の打ちようがないんだ。しかし、それでも、ミッションは継続しなくてはならない。わかるだろ?》
ノイズだらけのモニターから、ミシェルの声だけが鮮明に聞こえていた。
「それはわかってるよ…。しかし、これ以上目標天体に近づくと、地上との交信は完全に途絶えるんじゃないのか? ハッブルからのデータも入ってこなくなる。」
《ハッブルのデータは、今のうちにダウンロードしておいてくれ。最新ではなくても、天体の位置関係は把握できる。それに、交信不能でもミッション内容は単純だ。目標の天体を太陽の側に押すだけだからな。正確な座標は、宇宙船からの光学データだけでも十分だろ?》
「とりあえず、それでやるしかないな…。」
ソフィは、眉間に皺を寄せ、ミシェルからの指示を渋々了承した。
「大丈夫なのか?」
二人のやり取りを聞いて、不安になったジョーンズが、ソフィに声をかけた。
「いや、このミッションでミシェルからの情報が役に立った試しはない。交信できようができまいが、大差ないのかもな。勘に頼るのは気にいらないが、やれるだけやるよ。」
《聞こえてるぞ、ソフィ。》
居直るようなソフィの台詞が、ミシェルの癇に障った。
「聞こえないようには言ってないよ。」
ソフィは、まるで悪びれない。
《まあ、いい。とにかく、交信は途絶えるということで、何かあったらそっちから連絡を試みて欲しい。こちらでも、絶えず観測と分析は進めておくから。》
「連絡した時は、もう手の施しようがない状態、ということもあるけどね…。」
連絡できるというのは、目標天体から離脱して距離を置いているということ。ミッションの途中でそのような状態になるのは、万策尽きたということに他ならなかった。
†
「さーて、そろそろ目標天体の速度にシンクロするわよ。無重力になるから、全員シートロックして。」
ヨーコは、操縦席にしっかりと腰を落ち着け、姿勢よく操縦桿を握りながら言った。
「えー、また無重力なんですかぁ?せっかく(1.5Gに)慣れたのに…」
ヤマダは、不平を言いながらもシートに座り、ロックをかけた。
ちなみに、シートロックをかけると、ベルトよりも強固に身体を固定するので、ほとんど身動きが取れなくなってしまう。
「速度330、328、325、322、320…。シンクロしました。」
アレックスが、ヨーコに速度を伝える。
「よし、行くわよー。全員舌かまないように注意!!」
ランデブーという、難易度が高く危険なミッションを前に、ヨーコの顔つきは獲物を狩る肉食動物のようになっていた。スリルと緊張。人並みはずれた集中力。
宇宙船は一気に目標天体の右側に迂回し、回転軸の近くまで行くとレーシングカーのドリフト走行のように船体を横滑りさせ、移動と方向転換を一度におこなった。
もちろん、そのとき発生する重力の影響は計り知れず、乗員たちの身体を強烈に横に振った。ヤマダなどは、顔面の皮膚を剥がされるのではないかというくらい強い衝撃を感じ、「あびゃびゃびゃびゃ」と、聞き慣れない悲鳴を上げていた。
そして、慣性の法則に従い流れていく船体。ヨーコは操縦桿の横にあるパネルを神業のようなスピードでタッチし、72個ある制御スラスタ(推進機)を一斉に操作した。上、上、下、下、右、右、左、Aボタン、Bボタン。コンマゼロ秒単位で制御されたスラスタのプラズマ噴射は、ミリ単位で船体をコントロールし、その位置、距離、角度を、予定のランデブーポイントに寸分違わず固定させた。
「さすが少佐。完璧です。」
親指をグッと立てて、アレックスはヨーコを賞賛した。
「ありがと。ま、ちょろいもんだけどね。」
「すごい…。ミリ単位で正確に収まってる。マニュアルモードなのに。」
座標データを確認したオペレーターのイワシミズは、驚きを隠せなかった。
「こういう重力にムラがある天体に着ける時は、手動の方がいいのよ。ツチフマズ君、覚えておきなさい。」
「イワシミズです。僕は頸椎のコリによく効く足ツボですか?!」
「頸椎に効くのは、親指の付け根じゃなかったかしら?」
すると、後ろの方から、絹を引き裂くようなダニーの悲鳴が聞こえてきた。
「キャーッ!! ヤマダちゃんが失神したわ!」
ヨーコとアレックスが振り返ると、そこには、シートロックで固定されたままで、指先までダラリと力が抜けたヤマダの姿。
「あちゃ〜、やっぱり? ごめんねぇ、ヤマダちゃん。」
ヨーコは、多少は予想していたものの、申し訳無さそうに言った。
「ヨーコ!あんたねえ。ちょっと操縦荒すぎよ。」
ダニーは、ヨーコをたしなめた。
「うーん。でも、たらたら操縦するのもかえって難しかったりするのよ。この手の天体は、一気にピタッと行っちゃった方がさ。」
さすがにきまりが悪く、後頭部をぽりぽり掻くヨーコ。
「大変です! カニンガム博士も!!」
今度は、アレックスが大声を出した。
見ると、クリスがシートの上で、安らかな顔をしながら泡を噴いていた。
「キャーッ!! クリス様!」
ダニーは、ヤマダなどそっちのけで悲鳴を上げた。
その様子を横目で見て、ヨーコは意地悪そうにペロっと舌を出した。こっちに対しては、全く悪いことをしたという態度ではなかった。
「え、少佐。ひょっとしてわざと…? 何てことを…。つか、座席位置でG変えるなんて、器用だな!あんた。」
アレックスは、すっかりあきれかえった。
「気のせいよ、気のせい。それより、変態博士はこの後必要でしょ。ちょっと貸しなさい。」
ヨーコは、無重力状態でダニーに看護されているクリスの襟首を掴み、自分の方に引き寄せると、両肩を掴んで思い切り肩甲骨の間に膝蹴りを入れた。
「げふっ」
クリスは、意識を取り戻したが、状況が掴めず目をパチクリさせていた。
「ちょっと、あんた! 寝てんじゃないわよ。仕事よ、仕事。」
「少佐は鬼だ…。」
もはや、アレックスはヨーコにかける言葉もなかった。
「カニンガム博士。寝起きのところ申し訳ないけど、目標天体へのレーザー照射を開始してくれ。」
宇宙船のGにもその後の失神騒ぎにも動じていなかったソフィは、淡々と指示を出した。
「あ…ああ、すぐ始める。任せとけ!」
ようやく立ち直ったクリスは、例によって、自信満々の表情で親指を立てた。口元からはヨダレが垂れていたけれど…。
「それにしても、ソフィ。あなたよく平気ねえ。私でさえ、頭がガンガンしてるのに。」
ダニーは、人差し指と親指で瞼の上を押さえ、眉間に皺を寄せながら言った。
「知らないの?子どもは絶叫マシンが大好きなんだ。」
ソフィは、さらりと言い切った。
クリスは、無重力の中、上手に壁を蹴って、その反動でシートに戻った。この辺は、さすが経験豊富なアストロノーツである。(そのベテランを失神させたヨーコもすごいが…。)そして、シートに座る前、副操縦席に座るアレックスの耳元に一言。
「アレックス君。今回は、オレが一歩リードだ。そう簡単に少佐は譲れないからな。」
完全に意味不明な勝利宣言。おかしな連中ばかりで、アレックスは気が変になりそうだった。
†
「カニンガム博士。ダニーの分析よると、目標天体表面の構成物質は鉄。だから、あくまでも鉄という想定で作業を進めるけど、なにせ得体の知れない天体だ。石橋を叩くように、慎重モードでお願いしたい。」
ソフィは、クリスに釘を刺した。
「了解。じゃあ、出力抑えめで行くよ。それにしても、目が回りそうだな。こりゃあ…」
クリスのシートに設置されているレーザーの照準用モニターには、目標天体の回転軸を中心とした映像が表示されているのだが、1分間に70回転という微妙な回転数は、確かに平衡感覚をおかしくしそうだった。
「よし、とりあえず、(予定の)半分くらいの出力で行ってみるか。」
この宇宙船に搭載されたレーザー照射器は全部で6基。鉄のような電子を励起しにくい物質をプラズマ化するには、高強度のレーザーが必要であるが、それを推進力に変えるためには広範囲への照射が要求される。そのため、6基に分散して強度と照射面積のバランスを調整できるようなシステムになっていた。
「ヨーコ。プラズマ放射が始まると、目標天体は少しずつ軌道を変えるはずだ。船の位置もマメに修正して、定位置を保ってくれ。」
ヨーコに操船の指示を出すソフィ。
「了解! アレックス、頼んだわよ。」
「なんで、僕一人でやるみたいになってるんですか。交代でしょ?」
目標天体の軌道修正は、最短でもこれから10日以上は続く。アレックス一人に任されたら、とてもじゃないけど身が保たなかった。
「照射、開始。」
クリスは、そんな言い合いなどはよそに、レーザーの照射を開始した。
レーザーは、アニメや映画のように派手は音や反動は無く、標的である回転軸の中心をパッと照らすだけだった。ただし、その光量は凄まじく、モニター越しでも目がどうにかなりそうなくらいまばゆかった。
「さて、どうなるかな?」
ジョーンズは、少し身を乗り出して、目を細めながらモニターを見つめた。
「照射部分の温度変化が始まりました。1000ケルビン、1500、2000…。目標天体の表面融解を確認。」
オペレーターのイワシミズは、状況を逐一報告。
「待て、なんか変だぞ…。」
クリスは、レーザー照射部分に異変を感じた。
次の瞬間、ヨーコの野性的な勘が働く。
「回避運動! 全員、何かに捕まって!!」
言うや否や、ヨーコは操縦桿を思い切り引っ張り、宇宙船を右後方に退避させた。
その直後、レーザーを照射した箇所から強烈な紫色の炎が吹き上げ、宇宙船が元いた場所を直撃した。
無重力での急激な回避運動に、ブリッジ内の全員が体勢を崩した。それでも何とかシートにしがみついたが、気を失っていたヤマダは、そこから放り出されて宙に舞った。
「ヤマダちゃん!?」
一番近くにいたダニーが、足を掴もうと手を伸ばしたが、間に合わず、ヤマダは背中から激しく天井にぶつかった。
「…ん、んん。あれ、ここは…?」
朦朧としながらも、ヤマダは意識を取り戻した。
「よかった、ヤマダちゃん。気がついたのね。」
「キャーッ!なんですか?!これ。無重力??」
足をバタつかせ、慌てるヤマダ。
「天井をゆっくり蹴って。こっちへいらっしゃい。」
「あ、はい。」
ヤマダは、ダニーの言葉に従い天井を蹴った。
フラフラと降りてくるヤマダを抱きかかえるダニー。
「ありがとうございます。ダニーさん。」
「だいぶ、強くぶつかってたけど、怪我は無いか?ヤマダ。」
ヤマダの身を案じるソフィ。
「あ、はい。背中を打ったみたいです。あたた…」
ヤマダは、腰の右側を痛そうに押さえた。
「でも、大丈夫です!」
「ちょっと、アンタっ。何やってんのよ?! 一歩間違えたら、全滅するところだったじゃない!!」
ブリッジの前方では、ヨーコがクリスを怒鳴りつけていた。
「いや、出力は半分に押さえていたんだ。こんなはずは…。」
クリスは、言い訳するでもなく、思いがけない結果に、ただただ驚いていた。
「この紫色の光は、鉄のプラズマじゃないわね。ひょっとしてこれは…」
険しい顔で、ダニーが言った。
「希ガスじゃないのか? アルゴンの熱プラズマは、こんな感じだぜ。」
クリスはシートから身を乗り出し、ダニーの方を見て、言った。
「そうね…。鉄の中に希ガスが多く含まれているのかも知れないわ。でも…」
ダニーは、その可能性を考えつつも、言葉を濁した。
「希ガスって、化合しにくいんじゃないの?」
ソフィが指摘する通りだった。アルゴンを含む第18族元素、すなわち希ガスは、不活性であるため他の元素と結びつきにくい。少なくとも、鉄とアルゴンの化合物は聞いたことがなかった。
「クラスレートのような形で、結合しているのかもしれないわね。前例が全く無いわけではないわ(※ただし、22世紀現在の話)。」
「だけど、もしそうなら、かえって好都合じゃないか。」
クリスは、シートに掛けたままで後ろを向きながら言った。
「うーん。確かにアルゴンならプラズマ化しやすいし、そのまんまイオンエンジンみたいなものだからな…」
釈然としない顔で答えるソフィ。
「納得いかないのね? 確かに、何から何まで異様だわ。非常識なスピード、原因不明の回転、あり得ない構成物質…。」
ソフィの心中を察するダニー。
「しかし、それが事実だ。事実を受け止め、今できることをすべきではないかね?」
ジョーンズは、キャプテンらしく、建設的な意見を述べた。
「大佐が珍しくマトモなことを言った。その通り。ボクらには、あれこれ考えている時間は無いんだ。」
「聞こえてるぞ。ソフィ君。」
「だから、聞こえないようには言ってないってば。」
「・・・・・」
言葉を失い、ジョーンズは押し黙った。
「ヨーコ。目標天体との距離を倍にして、回転軸を合わせてくれ。ただし、操船は穏やかに。またカニンガム博士が気絶しても面倒だから。」
「はいは〜い。」
指示には素直に従うが、反省の態度は見せないヨーコだった。
「カニンガム博士。レーザー照射を一点集中から、広範囲照射に切り替えて欲しい。強度についてはお任せする。正直、よくわからんので。」
「任せてくれ!」
やっぱり、親指を立てて応えるクリス。
「ちょっと揺れるから、みんな、シートに着いててね。」
ヨーコは、今度は慎重に操船し、目標天体の回転軸線上200メートルの位置にピタリとつけた。
「お次はオレの番。レーザー照射!!」
無駄に元気な声を上げるクリス。
今度は、中強度のレーザーを広範囲に照射した。もちろん、勢いの良いクリスのかけ声に反して、レーザー光は音もしないし反動も無いけど。地味に目標天体を照らした。
しばらくすると、目標天体の表面は熱せられ、そこから分離したガスが紫色の眩いプラズマ光を発し始めた。今度のは、先ほどのように荒れ狂ったものではなく、落ち着いて安定した光だった。
「なかなかすごいものね。これなら、期待以上の成果が得られるんじゃないかしら。」
「うん、回転軸に沿って強力な磁界を形成してくれているのも大きいな。逆電荷を形成してイオンビームの逆流を中和してくれている。」
ダニーもソフィも、良い結果が得られることを確信した。
しかし、実際に軌道をどのくらい変えられるのかは、これから数時間経過しないとわからなかった。