第4章 ランデブー

「さて、と。当船はそろそろスピード0になります。重力も無くなりますのでご注意ください。」

まるで、バスの運転手のような口調のヨーコ。かなり、やる気が無い。

「15分くらい停船しよう。復路も1.5Gで航行するから、食事やトイレは、今のうちに済ませておくように。」

ジョーンズなど完全に差し置いて、ブリッジを仕切るソフィ。

「まるで、小学校の遠足ねえ…。」

ヨーコは、不満たらたらで、モニターに映った準惑星ケレスを眺めていた。

「仕方ないでしょう。ソフィの言う通り、ケレスはアシストに使うには重力不足です。やるとしたら、ケツ振りながらで強引に方向転換しなきゃいけなくなる。そんなのを高速でやったら、死人が出ますよ。」

「わかってるわよ、そんなことは。あんた、“仕方ない”が多すぎよ。」

正論を語るアレックスに、少々逆ギレするヨーコだった。

 

「この星、ケレスって言うんですね。もぐもぐ」

「ヤマダはケレスを知らなかったのか?ぱくぱく」

ソフィとヤマダは、シートに座ったまま、一緒に食事をしながら話していた。

食事と言っても、無重力で食べられるようなカロリーブロックやゼリー飲料など。お世辞にも美味しいとは言えないが、丸1日ろくに食事を摂れなかったから、ヤマダはそれなりに美味しく感じていた。

「惑星と言ったら、水金地火木土天海、だと思ってました。」

「それとは別に、“準惑星”というのがあって、代表的なものには、冥王星、ハウメア、マケマケ、エリス、それからケレスがある。ケレスは、19世紀初めに準惑星の中ではもっとも早く発見されたんだんだが、意外と知られてないな。」

「私、初めて聞きました。ここでUターンする予定だったんですよね?」

「Uターン…。まあ、“重力アシスト”というよりは“Uターン”の方が妥当か。」

「でも、星が小さすぎてそれができない…?」

「地球に接近する天体にランデブーするのは意外と厄介なんだ。正面から突っ込むわけにはいかないから、目標天体に対して背後から追いかけて取り付かなくてはならないんだけど、宇宙船は地球から発進するので、どこかで反転しなくてはならない。ところが、ヤマダも体感した通り、宇宙船は簡単に止まれないし方向転換もできなかったりする。で、苦肉の策として使われてきたのが、天体の重力を利用して方向を変える方法だったんだ。」

「それが、重力アシストですね?」

「そう、でも、ケレスは直径が1000キロメートルもないし、質量も月の100分の1程度だから、そもそも役不足なんだよ。よく考えたら、ミシェルも『重力アシストしろ』とは一言も言ってなかったしな。ヨーコが妙にこだわるから、やってみてもいいんじゃないかとも思ったんだけどさ…」

「 っさいわねえ。 聞こえてるわよ。」

二人の会話に聞き耳を立てていたヨーコが噛みついてきた。

「いや、別に聞こえないようには話してないし。」

「そう?なら、いいけど。」

ヨーコは、すぐに噛みつくけどあまり深追いはしない。ソフィはソフィで、つまらない言い訳はしなかった。それが二人の信頼関係。水と油のような間逆の性格が、互いを尊重し上手く協力し合える秘訣だった。

 

 

「さて、食事もトイレも終えたところで、そろそろ目標天体に向かおう。ボクの方で話を進めてしまって構わないか?大佐」

「ああ、頼んだ。ソフィ君」

この段階になると、ジョーンズは、いてもいなくても、どうでもいい存在と言って過言ではなかったが、ソフィは一応伺いを立てておいた。

「今後の航行プランだが、少々ややこしいことになる。 秒速320キロメートルで移動する天体へのランデブーという、前代未聞ミッションを行うのだから、当然だけどな。」

ソフィは、モニターに目標天体と宇宙船の現在地を示した太陽系図を表示した。

「まず、目標天体だが、現在、当船から約6185万キロメートルの位置を地球に向かって進行中。我々はこれを追うために、まずは15メートル毎秒毎秒で、27時間かけて秒速1450キロメートルまで加速しなくてはならない。」

ソフィは、モニター上で、宇宙船のグラフィックを経過ポイントまで移動させた。

「そこからは、目標天体と同じ秒速320キロメートルに速度を合わせるため、今度は15メートル毎秒毎秒で減速。21時間かけて目標天体に到達する。」

そう言うと、図上の宇宙船をゆっくりと動かし、目標天体へ到達させた。

「秒速1450キロメートルか。行きに比べると、最高速はずいぶん遅いんだな。」

ジョーンズが、何となく思ったことをボソっと言った。

「ふぅ…。」

ソフィは「やれやれ」といった感じでため息をついた。

「それは、長距離航行を行う以上回避できない問題だ。最高速度は、減速航行を行う距離と時間に制約される。もし、それを上げたいならば、加速度を増やすしかない。例えば、2Gにする、とかな。」

その話を聞いて、「無理無理」と首を横に振るヤマダ。

「まあ、もっとも、往路でも2Gで減速することは考えたのだが、肉体的な負担が、やはり大き過ぎる。我々が接近するまでに、目標天体が1億キロメートル以上も前進してしまうことにも、歯がゆさを感じずにいられない。しかし、“旗つつみ”を実現したり、正確にランデブーするためには必要なロスだと思うよ。トレードオフと考えるしかないな。」

「いやっ、そうだな。すまない、続けてくれ。」

ジョーンズは、きまり悪そうに引っ込んだ。

「目標天体に接近した後は、ヨーコの出番だ。目標天体の右側面に回り、回転軸の軸線上100メートルの位置にランデブーしてほしい。かなり至近距離だけど、レーザー照射を効果的に行うためには必要なんだ。」

「ちょろいもんよ。まかせといて。」

ヨーコは、自信満々に答えた。

「そして、回転軸の中心に、高強度レーザーを照射。これは、レーザーの扱いに一日の長がある、カニンガム博士にお願いしていいだろうか?」

ソフィは、クリスの方にチラリと目をやった。

「まかせてくれ。レーザーは反物質エンジンの出力とも関係してくるからな。」

クリスは、ソフィの方を振り返り、2本指でキザったらしく敬礼してみせた。

「レーザーの照射を受けると、目標天体の表面はプラズマ化し、推進力が発生する。それによって目標天体の軌道を逸らすというわけだ。」

モニターには、宇宙船からのレーザーによって、目標の天体がいとも簡単に動かされるグラフィックが表示された。

「ちょっと、いいかしら?」

話の途中で、今度はダニーが口を挟んできた。

「なんだ?ダニー」

「レーザーを照射して表面をプラズマ化、というけど、それは表面が鉄であるという前提よね? そう予想したのは私だけど、あくまでも推測でしかない。もしも、鉄よりも堅牢でプラズマ化しにくい物質だとしたら、どうするつもり?」

「ダニーの懸念はもっともだ。しかし、反物質の恩恵もあって、レーザー強度はかなり高めることが可能。仮に鉄以外の物質だとしても、たいていはプラズマ化できると思う。もし、無理だったら、別の方法を考えるまでだね。」

「行き当たりばったりなのねぇ。」

ダニーは、軽くため息をついた。

「何から何まで不確定なんだから、その時のベストを尽くすしかないよ。」

小惑星とも彗星ともつかない未知の天体。物理の法則を無視した異常な回転。構成物質もわからない。何もかも手探りで進めるしかないミッションだった。

「あのー、私はいったい何をすれば?」

ヤマダが挙手質問した。

「ヤマダは…特に何も無い。今後も、問題が起こらなければ、何もすること無いんじゃないかな?」

ヤマダに何かすべきことがあるというのは、ソフィを始めとして、ここにいる全員がお手上げ状態になった時。最後の望み、神頼みの相手がヤマダなのだ。ソフィは、今後、そのような事態に直面しないことを、心から祈っていた。

「と、まあ、こんな具合なんだが、ミシェルはどう思う?」

《いいんじゃないか? 他にやり方が無いわけでもないけど、何がベストかは決めかねる状況だしな。》

モニター越しにミシェル。

「気に入らないなあ。もっといいアイデアがあるみたいな言い方じゃないか。」

ソフィは、不満げな顔で、ミシェルに文句を言った。

《いや、現場にいるお前が決めた方がベターだろ。オレの言うことなんて、いちいち気にするな。》

だったら、妙な含みがある言い方するなよ、と思ったソフィだったが、そんなことで言い争っている暇はなかった。

「ヨーコ、時間が惜しい。出発しよう。」

「了解。重力来るから、全員シートに着いててね。」

宇宙船は、ゆっくりと速度を上げ、準惑星ケレスを後にした。

 

 

─その頃、ジョンソン宇宙センター(ヒューストン)─

「ふう、目標天体の衝突予定まで、あと14日か。本番は、まだまだこれからなのに、どっと疲れたな。」

ネクタイを緩め、デスクの上に足を投げ出すミシェル。

「あまり寝てないんじゃないですか?ミシェル。はい、コーヒー。」

温かいコーヒーをミシェルのデスクに置き、声を掛けてきたのはミミ・ラーナー。亜麻色のショートヘアーが似合う、少し年上の女性オペレーターだった。

「君がコーヒーを淹れてくれるなんて、珍しいな。」

「ええ、今日は特別です。かなりお疲れのようでしたから。あまり無理はしないでくださいね。」

あまり寝てないことについて「無理をするな」と言うのは、つまり「少しは寝ろ」と言ってくれているのだろうが、ならばどうしてコーヒーなんて持ってくるのだろう?と疑問に思うミシェルだった。寝て欲しいのか寝て欲しくないのか…。しかし、難題が一段落した後の温かいコーヒーはありがたいものだった。

「君は、ちゃんと休めているのか?」

コーヒーを飲みながら、ミミに話しかけるミシェル。

「ええ、娘を迎えにいかなくちゃならないから、私は定時で上がらせてもらっています。」

ミミは、自分のデスクに置いてあるフォトフレーム(ちなみに3Dホログラム)をミシェルに見せ、ニッコリと笑った。

「かわいらしいお嬢ちゃんだな。」

「ありがとうございます。」

あと2週間で人類が滅びるかも知れないというのに、人々の日常は続き、母親は子どもの未来を信じて、毎日送り迎えを続けてる…。ミミのように、内部事情を熟知していれば、状況がかなり厳しいことは理解しているはずなのだが…。

滅ぶかも知れないという現実が大きく立ちはだかる一方で、助かるかも知れないという可能性もあるから、安易に自暴自棄にもなれない。だから、滅びる直前まで今日と同じ毎日を繰り返すのだろうか。

しかし、滅亡の恐怖を前にして、自棄になる人たちもいる。きっと、現実的にはそういう人たちの方が多いだろう。人々が自棄になり、社会システムが崩壊すれば、“人類が滅ばなかった時”のリスクは計り知れない。ミシェルはこの点も強く懸念していた。

それは、北米連合大統領を始めとした各国政府のトップも同様で、天体の衝突に関しては、関係者以外に一切語られていなかった。

 

「ミシェル君、お疲れか?」

少しウトウトしていたミシェルだったが、聞き覚えのある声を聞いて、デスクの上に乗せていた足を下ろした。

「これは副長官。わざわざ…」

「いや、そのままで構わん。」

椅子から立とうとしたミシェルだったが、副長官の言葉に甘えてそのまま座り直した。

「ヤマダの機転に救われたこともあって、思いのほか順調ですよ。これから、目標に接近し、ランデブーします。」

「ふむ、面接で初めて見た時はどうしたものかと思ったが、噂に違わぬ才能の持ち主のようだな。」

「私も、こんなに早く活躍してもらえるとは思えませんでしたがね。しかし、まあ…」

「…何だね?」

副長官は、言葉を濁したミシェルに問いただした。

「いや、まだまだ余談を許さない状況です。軌道を変えられるかどうかはやってみないとわかりませんし、物理的に説明のつかない回転運動も未解明のまま。このまますんなりとはいかないでしょうね。」

「ミシェル君、くどいようだが、“できなかった”ではすまされないのだぞ。」

「わかってますよ。“任せてください”と言わざるを得ないんでしょう。言われなくても、死ぬ気でやってます。」

ミシェルは、副長官の脅しめいた言い方にイラ立ちを隠せなかった。

「しかし、本当にダメな時は、すぐに連絡しろ。」

「どういうことです?」

「我々は月の裏側に2年間居住できる環境を用意している。安心しろ。君の寝床も残してある。」

副長官は、周囲に聞こえないように、ミシェルの耳元でこっそりとつぶやいた。

「!?…自分たちだけ逃げる気ですか?」

「種と文明を存続させるためだ。当然だろ。」

そう言い残して、副長官は立ち去った。

 

ミシェルは、再びデスクの上に足を乗せ、思わず「ちっ」と舌打ちをした。

気づいたら、斜め前の席に座るミミが、振り返ってミシェルの顔をじっと見ていた。

恐怖と侮辱が入り交じったような嫌な表情。

「聞こえてたのか…。」

「今の話、本当なの?ミシェル」

「たぶん、ね…。でも、心配するなよ、ミミ。僕はどこにも逃げない。100億の人類を見捨てて、おめおめと生き続けるほど強いハートは持ち合わせちゃいないからな。」

自嘲気味に笑うミシェルを見て、ミミは少しだけ安堵した。

「だいたい、あんなのが地球に衝突したら、2年くらいで済むもんか…」

 

 

「だんだん肉眼でも形がわかるようになってきたな。そろそろか?」

ジョーンズが、モニターを見ながら言った。

厳密に言うとモニター越しで見ているのだから、肉眼でもなんでもないのだが、そこをいちいちツッコむ者はいなかった。

「あと1時間ってところだな。そろそろ、仮眠をとってるカニンガム博士たちを起こそう。」

誰に対してというわけでもなく、ソフィが言った。

「あ、私呼んできます。」

そう言って、ヤマダはシートからスッと立ち上がった。

「あらまあ、ヤマダちゃん。歩けるようになったのね?!」

1.5Gの重力の中、普通に歩いているヤマダに驚くダニー。

「ええ、まだちょっと身体が重い感じですけど、なんとか。」

「そりゃ重いわよ。ヤマダちゃんの体重だと、今75キログラムを支えているようなものだものねぇ。」

「えーと、今は体重が1.5倍だから…。」

頭の中で計算してみるヤマダ。

「…!? ダニーさん、ヒドいです。私、そんなに重くありません!」

ヤマダは、顔を紅潮させ、ダニーの肩をポカポカ叩きつつ、そのまま居住ブロックにクリスとアレックスを呼びに行った。

「やっぱり、いいわねぇ。若い女の子がいると華やいで。」

ダニーは、ヤマダとのガールズトークにすっかりご満悦だった。

ヨーコとソフィは、何か主張してやりたかったが、墓穴を掘りそうなのでやめといた。

 

《ミ…シェルだ。あれ、…な…んだ?おかしいぞ。》

「ヴィシソワーズ、通信異常だ。確認してくれ。」

ソフィは、オペレーターに指示を出した。

「イワシミズです。僕はトマトの冷静スープですか?! …確認します。」

(それはガスパッチョ。)

しかし、ソフィもいちいちツッコんでいる場合ではなかった。

《いや、周波数を変えた。どうやら、目標天体周辺の磁気が乱れているようだな。》

音声は戻ったが、映像はノイズまじりだった。

「磁気異常? これまでそんなものは確認できなかったはずだけど…」

異常事態の連続に、ソフィは少しイラっとした顔を見せた。

《目標天体が太陽に近づいてるから、電離現象が起こってるのかも知れない。ここ数ヶ月、太陽活動も活発化してるし。目標天体の回転運動も関係している可能性があるかもな。》

「あのな、ミシェル。憶測で言うのはやめてくれないか? ただでさえ状況予測が難しいんだ。原因はきっちり究明してくれないと困る。」

《こちらでも全力で分析に当たっているが、情報が少なくて手の打ちようがないんだ。しかし、それでも、ミッションは継続しなくてはならない。わかるだろ?》

ノイズだらけのモニターから、ミシェルの声だけが鮮明に聞こえていた。

「それはわかってるよ…。しかし、これ以上目標天体に近づくと、地上との交信は完全に途絶えるんじゃないのか? ハッブルからのデータも入ってこなくなる。」

《ハッブルのデータは、今のうちにダウンロードしておいてくれ。最新ではなくても、天体の位置関係は把握できる。それに、交信不能でもミッション内容は単純だ。目標の天体を太陽の側に押すだけだからな。正確な座標は、宇宙船からの光学データだけでも十分だろ?》

「とりあえず、それでやるしかないな…。」

ソフィは、眉間に皺を寄せ、ミシェルからの指示を渋々了承した。

「大丈夫なのか?」

二人のやり取りを聞いて、不安になったジョーンズが、ソフィに声をかけた。

「いや、このミッションでミシェルからの情報が役に立った試しはない。交信できようができまいが、大差ないのかもな。勘に頼るのは気にいらないが、やれるだけやるよ。」

《聞こえてるぞ、ソフィ。》

居直るようなソフィの台詞が、ミシェルの癇に障った。

「聞こえないようには言ってないよ。」

ソフィは、まるで悪びれない。

《まあ、いい。とにかく、交信は途絶えるということで、何かあったらそっちから連絡を試みて欲しい。こちらでも、絶えず観測と分析は進めておくから。》

「連絡した時は、もう手の施しようがない状態、ということもあるけどね…。」

連絡できるというのは、目標天体から離脱して距離を置いているということ。ミッションの途中でそのような状態になるのは、万策尽きたということに他ならなかった。

 

 

「さーて、そろそろ目標天体の速度にシンクロするわよ。無重力になるから、全員シートロックして。」

ヨーコは、操縦席にしっかりと腰を落ち着け、姿勢よく操縦桿を握りながら言った。

「えー、また無重力なんですかぁ?せっかく(1.5Gに)慣れたのに…」

ヤマダは、不平を言いながらもシートに座り、ロックをかけた。

ちなみに、シートロックをかけると、ベルトよりも強固に身体を固定するので、ほとんど身動きが取れなくなってしまう。

「速度330、328、325、322、320…。シンクロしました。」

アレックスが、ヨーコに速度を伝える。

「よし、行くわよー。全員舌かまないように注意!!」

ランデブーという、難易度が高く危険なミッションを前に、ヨーコの顔つきは獲物を狩る肉食動物のようになっていた。スリルと緊張。人並みはずれた集中力。

宇宙船は一気に目標天体の右側に迂回し、回転軸の近くまで行くとレーシングカーのドリフト走行のように船体を横滑りさせ、移動と方向転換を一度におこなった。

もちろん、そのとき発生する重力の影響は計り知れず、乗員たちの身体を強烈に横に振った。ヤマダなどは、顔面の皮膚を剥がされるのではないかというくらい強い衝撃を感じ、「あびゃびゃびゃびゃ」と、聞き慣れない悲鳴を上げていた。

そして、慣性の法則に従い流れていく船体。ヨーコは操縦桿の横にあるパネルを神業のようなスピードでタッチし、72個ある制御スラスタ(推進機)を一斉に操作した。上、上、下、下、右、右、左、Aボタン、Bボタン。コンマゼロ秒単位で制御されたスラスタのプラズマ噴射は、ミリ単位で船体をコントロールし、その位置、距離、角度を、予定のランデブーポイントに寸分違わず固定させた。

「さすが少佐。完璧です。」

親指をグッと立てて、アレックスはヨーコを賞賛した。

「ありがと。ま、ちょろいもんだけどね。」

「すごい…。ミリ単位で正確に収まってる。マニュアルモードなのに。」

座標データを確認したオペレーターのイワシミズは、驚きを隠せなかった。

「こういう重力にムラがある天体に着ける時は、手動の方がいいのよ。ツチフマズ君、覚えておきなさい。」

「イワシミズです。僕は頸椎のコリによく効く足ツボですか?!」

「頸椎に効くのは、親指の付け根じゃなかったかしら?」

すると、後ろの方から、絹を引き裂くようなダニーの悲鳴が聞こえてきた。

「キャーッ!! ヤマダちゃんが失神したわ!」

ヨーコとアレックスが振り返ると、そこには、シートロックで固定されたままで、指先までダラリと力が抜けたヤマダの姿。

「あちゃ〜、やっぱり? ごめんねぇ、ヤマダちゃん。」

ヨーコは、多少は予想していたものの、申し訳無さそうに言った。

「ヨーコ!あんたねえ。ちょっと操縦荒すぎよ。」

ダニーは、ヨーコをたしなめた。

「うーん。でも、たらたら操縦するのもかえって難しかったりするのよ。この手の天体は、一気にピタッと行っちゃった方がさ。」

さすがにきまりが悪く、後頭部をぽりぽり掻くヨーコ。

「大変です! カニンガム博士も!!」

今度は、アレックスが大声を出した。

見ると、クリスがシートの上で、安らかな顔をしながら泡を噴いていた。

「キャーッ!! クリス様!」

ダニーは、ヤマダなどそっちのけで悲鳴を上げた。

その様子を横目で見て、ヨーコは意地悪そうにペロっと舌を出した。こっちに対しては、全く悪いことをしたという態度ではなかった。

「え、少佐。ひょっとしてわざと…? 何てことを…。つか、座席位置でG変えるなんて、器用だな!あんた。」

アレックスは、すっかりあきれかえった。

「気のせいよ、気のせい。それより、変態博士はこの後必要でしょ。ちょっと貸しなさい。」

ヨーコは、無重力状態でダニーに看護されているクリスの襟首を掴み、自分の方に引き寄せると、両肩を掴んで思い切り肩甲骨の間に膝蹴りを入れた。

「げふっ」

クリスは、意識を取り戻したが、状況が掴めず目をパチクリさせていた。

「ちょっと、あんた! 寝てんじゃないわよ。仕事よ、仕事。」

「少佐は鬼だ…。」

もはや、アレックスはヨーコにかける言葉もなかった。

「カニンガム博士。寝起きのところ申し訳ないけど、目標天体へのレーザー照射を開始してくれ。」

宇宙船のGにもその後の失神騒ぎにも動じていなかったソフィは、淡々と指示を出した。

「あ…ああ、すぐ始める。任せとけ!」

ようやく立ち直ったクリスは、例によって、自信満々の表情で親指を立てた。口元からはヨダレが垂れていたけれど…。

「それにしても、ソフィ。あなたよく平気ねえ。私でさえ、頭がガンガンしてるのに。」

ダニーは、人差し指と親指で瞼の上を押さえ、眉間に皺を寄せながら言った。

「知らないの?子どもは絶叫マシンが大好きなんだ。」

ソフィは、さらりと言い切った。

クリスは、無重力の中、上手に壁を蹴って、その反動でシートに戻った。この辺は、さすが経験豊富なアストロノーツである。(そのベテランを失神させたヨーコもすごいが…。)そして、シートに座る前、副操縦席に座るアレックスの耳元に一言。

「アレックス君。今回は、オレが一歩リードだ。そう簡単に少佐は譲れないからな。」

完全に意味不明な勝利宣言。おかしな連中ばかりで、アレックスは気が変になりそうだった。

 

 

「カニンガム博士。ダニーの分析よると、目標天体表面の構成物質は鉄。だから、あくまでも鉄という想定で作業を進めるけど、なにせ得体の知れない天体だ。石橋を叩くように、慎重モードでお願いしたい。」

ソフィは、クリスに釘を刺した。

「了解。じゃあ、出力抑えめで行くよ。それにしても、目が回りそうだな。こりゃあ…」

クリスのシートに設置されているレーザーの照準用モニターには、目標天体の回転軸を中心とした映像が表示されているのだが、1分間に70回転という微妙な回転数は、確かに平衡感覚をおかしくしそうだった。

「よし、とりあえず、(予定の)半分くらいの出力で行ってみるか。」

この宇宙船に搭載されたレーザー照射器は全部で6基。鉄のような電子を励起しにくい物質をプラズマ化するには、高強度のレーザーが必要であるが、それを推進力に変えるためには広範囲への照射が要求される。そのため、6基に分散して強度と照射面積のバランスを調整できるようなシステムになっていた。

「ヨーコ。プラズマ放射が始まると、目標天体は少しずつ軌道を変えるはずだ。船の位置もマメに修正して、定位置を保ってくれ。」

ヨーコに操船の指示を出すソフィ。

「了解! アレックス、頼んだわよ。」

「なんで、僕一人でやるみたいになってるんですか。交代でしょ?」

目標天体の軌道修正は、最短でもこれから10日以上は続く。アレックス一人に任されたら、とてもじゃないけど身が保たなかった。

「照射、開始。」

クリスは、そんな言い合いなどはよそに、レーザーの照射を開始した。

レーザーは、アニメや映画のように派手は音や反動は無く、標的である回転軸の中心をパッと照らすだけだった。ただし、その光量は凄まじく、モニター越しでも目がどうにかなりそうなくらいまばゆかった。

「さて、どうなるかな?」

ジョーンズは、少し身を乗り出して、目を細めながらモニターを見つめた。

「照射部分の温度変化が始まりました。1000ケルビン、1500、2000…。目標天体の表面融解を確認。」

オペレーターのイワシミズは、状況を逐一報告。

「待て、なんか変だぞ…。」

クリスは、レーザー照射部分に異変を感じた。

次の瞬間、ヨーコの野性的な勘が働く。

「回避運動! 全員、何かに捕まって!!」

言うや否や、ヨーコは操縦桿を思い切り引っ張り、宇宙船を右後方に退避させた。

その直後、レーザーを照射した箇所から強烈な紫色の炎が吹き上げ、宇宙船が元いた場所を直撃した。

無重力での急激な回避運動に、ブリッジ内の全員が体勢を崩した。それでも何とかシートにしがみついたが、気を失っていたヤマダは、そこから放り出されて宙に舞った。

「ヤマダちゃん!?」

一番近くにいたダニーが、足を掴もうと手を伸ばしたが、間に合わず、ヤマダは背中から激しく天井にぶつかった。

「…ん、んん。あれ、ここは…?」

朦朧としながらも、ヤマダは意識を取り戻した。

「よかった、ヤマダちゃん。気がついたのね。」

「キャーッ!なんですか?!これ。無重力??」

足をバタつかせ、慌てるヤマダ。

「天井をゆっくり蹴って。こっちへいらっしゃい。」

「あ、はい。」

ヤマダは、ダニーの言葉に従い天井を蹴った。

フラフラと降りてくるヤマダを抱きかかえるダニー。

「ありがとうございます。ダニーさん。」

「だいぶ、強くぶつかってたけど、怪我は無いか?ヤマダ。」

ヤマダの身を案じるソフィ。

「あ、はい。背中を打ったみたいです。あたた…」

ヤマダは、腰の右側を痛そうに押さえた。

「でも、大丈夫です!」

 

「ちょっと、アンタっ。何やってんのよ?! 一歩間違えたら、全滅するところだったじゃない!!」

ブリッジの前方では、ヨーコがクリスを怒鳴りつけていた。

「いや、出力は半分に押さえていたんだ。こんなはずは…。」

クリスは、言い訳するでもなく、思いがけない結果に、ただただ驚いていた。

「この紫色の光は、鉄のプラズマじゃないわね。ひょっとしてこれは…」

険しい顔で、ダニーが言った。

「希ガスじゃないのか? アルゴンの熱プラズマは、こんな感じだぜ。」

クリスはシートから身を乗り出し、ダニーの方を見て、言った。

「そうね…。鉄の中に希ガスが多く含まれているのかも知れないわ。でも…」

ダニーは、その可能性を考えつつも、言葉を濁した。

「希ガスって、化合しにくいんじゃないの?」

ソフィが指摘する通りだった。アルゴンを含む第18族元素、すなわち希ガスは、不活性であるため他の元素と結びつきにくい。少なくとも、鉄とアルゴンの化合物は聞いたことがなかった。

「クラスレートのような形で、結合しているのかもしれないわね。前例が全く無いわけではないわ(※ただし、22世紀現在の話)。」

「だけど、もしそうなら、かえって好都合じゃないか。」

クリスは、シートに掛けたままで後ろを向きながら言った。

「うーん。確かにアルゴンならプラズマ化しやすいし、そのまんまイオンエンジンみたいなものだからな…」

釈然としない顔で答えるソフィ。

「納得いかないのね? 確かに、何から何まで異様だわ。非常識なスピード、原因不明の回転、あり得ない構成物質…。」

ソフィの心中を察するダニー。

「しかし、それが事実だ。事実を受け止め、今できることをすべきではないかね?」

ジョーンズは、キャプテンらしく、建設的な意見を述べた。

「大佐が珍しくマトモなことを言った。その通り。ボクらには、あれこれ考えている時間は無いんだ。」

「聞こえてるぞ。ソフィ君。」

「だから、聞こえないようには言ってないってば。」

「・・・・・」

言葉を失い、ジョーンズは押し黙った。

 

「ヨーコ。目標天体との距離を倍にして、回転軸を合わせてくれ。ただし、操船は穏やかに。またカニンガム博士が気絶しても面倒だから。」

「はいは〜い。」

指示には素直に従うが、反省の態度は見せないヨーコだった。

「カニンガム博士。レーザー照射を一点集中から、広範囲照射に切り替えて欲しい。強度についてはお任せする。正直、よくわからんので。」

「任せてくれ!」

やっぱり、親指を立てて応えるクリス。

「ちょっと揺れるから、みんな、シートに着いててね。」

ヨーコは、今度は慎重に操船し、目標天体の回転軸線上200メートルの位置にピタリとつけた。

「お次はオレの番。レーザー照射!!」

無駄に元気な声を上げるクリス。

今度は、中強度のレーザーを広範囲に照射した。もちろん、勢いの良いクリスのかけ声に反して、レーザー光は音もしないし反動も無いけど。地味に目標天体を照らした。

しばらくすると、目標天体の表面は熱せられ、そこから分離したガスが紫色の眩いプラズマ光を発し始めた。今度のは、先ほどのように荒れ狂ったものではなく、落ち着いて安定した光だった。

「なかなかすごいものね。これなら、期待以上の成果が得られるんじゃないかしら。」

「うん、回転軸に沿って強力な磁界を形成してくれているのも大きいな。逆電荷を形成してイオンビームの逆流を中和してくれている。」

ダニーもソフィも、良い結果が得られることを確信した。

しかし、実際に軌道をどのくらい変えられるのかは、これから数時間経過しないとわからなかった。

第3章 ファースト・ミッション

「乗船前から、この船の装備品を色々と調べていたんです。そうしたら、こんなものを見つけました。ソーラーセイルです。」

ヤマダは、メインモニターにソーラーセイルの画像データを表示した。

「今回のケースでは、ソーラーセイルは使えんぞ。目標天体の速度が速すぎるし、これだけ高速に回転してたら、巻き込まれてグシャグシャになってしまう。」

ジョーンズが、極めて一般論をほざいた。

《そんなの、全員わかってます。大佐は黙っててください。ヤマダ、続けて。》

モニター越しに、ミシェルがジョーンズをたしなめた。

「あ、はい。ありがとうございます。この、広げると1辺が50キロメートルになる巨大な“布”は、とても頑丈な素材でできていて、何があっても破れることがないと知りました。そこで、考えたのは、目標天体をこの“布”で受け止めて、その内側を滑らせるように転がすという方法です。」

ヤマダは、ポケットからハンカチとビリヤードのボールを取り出し、実演してみせた。ちなみに、ビリヤードのボールは、ヤマダがいつも持ち歩いている私物である。

「おいおい。目標天体は秒速320キロメートルで突っ込んできてるんだぞ。薄っぺらいソーラーセイルなんて、簡単に突き破ってしまうんじゃないか?」

またしても、口を挟むジョーンズ。

「いや、ソーラーセイルの支持体は、最新技術のナノチューブでできているわ。耐久性は計測不能なほど強固で、一般的な物理の力で破壊されることはまずありえない。耐熱性能も真空状態で9万度を超えるシロモノよ。」

ダニーは、ジョーンズの懸念を一蹴した。

「重要なのは、布を菱形になるように斜めに配置して、目標天体を対角線上に通すということです。これは、単純に転がる距離を長くするという意味もありますが、布の引っぱり特性を利用して弾力性を生み出すという効果も見込めます。弾力性があれば、布と目標天体の接触時間が長くなって、より大きな力を加えることができるはず。上手くいけば、減速効果もあるかも、です。」

「おもしろいアイデアだ。減速してくれれば、一石二鳥だし。」

ソフィは、概ね賛成のようだった。

「ありがとうございます!」

ソフィに褒められて、ヤマダは素直に喜んだ。

「…しかし、これには大きな問題があるな。」

「そう。欠点が二つほどあります。一つは宇宙空間には空気抵抗が無いこと。空気抵抗が無ければ、おそらく目標天体に十分な力を伝えることができません。もう一つは、どうしても1点を固定、もしくは目標天体の進行方向と反対側に引っ張らなくてはいけないということです。」

この方法は、ヤマダがピタゴラ…で球体の回転方向を明確に変更したい時に使う手法だった。しかし、空気抵抗が無い真空状態では、布がはじき飛ばされて終わりである。物理に詳しくないと言っても、ヤマダにはそのくらいのことが理解できていた。

「いや、ソーラーセイルは、太陽の光子を受けて推進力を得るから、地球の大気ほどではないが抵抗力は生じる。目標天体が高速であることを考えれば十分だろう。問題は、どうやってセイルの角を固定するか、の方だ。」

「そうですね。宇宙船で牽引とかできるといいんですけど。」

もちろん、ヤマダはあまり考えずに言っている。

「相手は秒速320キロメートルで飛んでくる推定30万メガトンの鉄の塊…。しかし、正面から受け止めるわけではないからな。目標天体がセイルに衝突した時の衝撃と光子による抵抗力。コンタクト時には、船は減速中だから、セイルの角度を調整して…」

ソフィは、何やらぶつぶつと言い始めた…。

「…ダメだな。そもそも、目標天体の侵入角度によって負荷はまるで違ってくる。高速回転していると、どの角度からセイルに接触するかも予測できない。一歩間違えば…」

「せっかくだけど、宇宙船で牽引するとかはやめといた方がいい。」

唐突に、クリスが口を挟んできた。

《カニンガム博士か。何かご意見が?》

モニタ越しにミシェル。

「いや、おそらくヤマダのお嬢ちゃんは、野球ボールをカーテンに向かって投げるくらいのイメージで言ってるんだと思うけど、目標天体の速さは秒速320キロメートル。最接近時で、この船からの相対速度にしたら秒速2600キロメートル以上で飛んでくるわけだ。そうすると、セイルと目標天体の接触時間はコンマ何秒になるんだけど、この間、目標天体がスムーズに転がらなかったらどうなる?」

「宇宙船ごとはじき飛ばされて、全員圧死だな。それは、ボクも考えた。」

ソフィは、言わずもがな、とばかりに答えた。

「そう、しかも、そうなる可能性の方が高い。」

クリスの指摘を受けて、ヤマダはしゅんとなった。

「しかし、だ。ヤマダのお嬢ちゃんの着眼点はなかなか悪くない。科学者には思いつかない発想だ。」

「本当ですか?」

打って変わって明るい表情を見せるヤマダ。

《博士には、何か妙案があるのか?》

「いや、妙案ってほどではないんだがね。ほんのコンマ何秒の推進力が欲しいなら、もっとベターな方法があるってことさ。」

 

それから2日後。

「ったく。いきなり航行プラン変えさせないでよ。めんど臭いわねえ」

操縦席で頬杖をつきながら愚痴るヨーコ。

「仕方ないですよ。船外活動するには慣性航行するしかないですから。それに、そのめんど臭い設定は全部僕がやってるんですがね…」

コンピューターを操作する片手間でヨーコの話し相手をするアレックス。

「はいはい、すみませんねぇ。でも、減速プロセスの遅延は後でキツいわよ〜」

ヨーコたちが乗船する宇宙船のように、恒星間も含めた超長距離航行を想定した宇宙船の航法は独特である。プラズマから発生するローレンツ力に頼った推進は、比推力に優れるが加速力が劣るため、緩やかな等加速度運動の連続によって高速航行を可能にしている。

例えば、5億4000万キロメートル離れた準惑星ケレスまで航行する今回のミッションでは、宇宙船は地球の重力加速度と同じ9.8メートル毎秒毎秒で加速する。そうすると、中間地点の2億7000万キロメートルでは、秒速2350キロメートルに達していることになる。同時に、船内に地球と同等の重力が形成され、安定した船内活動と乗員の健康状態が維持される。

そして、目的地で停止するためには、通常、そこから同じく9.8メートル毎秒毎秒で減速しなくてはならない。つまり、超長距離航行においては、同じ加速度で加減速する場合、進行と停止に同じだけの時間と距離が必要になるのだ。

ここに、加速度0の慣性航行を挟むと、高速状態を長く維持することになり、減速を開始するタイミングを遅らせて目的地をオーバーランするか、減速の加速度を増やして急停止するしかなくなる。後者は、乗員の負担を増大させてしまう。

「しかし、私が寝てる間にこんな話になってたなんてねえ。ヤマダちゃん、やるじゃない。」

ヨーコは、操縦席のシートを倒して背もたれ越しにヤマダに視線を送った。

ヤマダは、ニコニコ笑いながら手を振った。

「でも、カニンガム博士の功績も大きいですよ。彼のアイデアが無ければ、実現は難しかったんですから。」

クリスの株を上げるつもりも特になかったが、アレックスは彼についても一応評価しておいた。

「けっ、いいカッコしいが。まだうまく行ったわけじゃねーだろ。」

「少佐…。あんたって人は…」

 

「ソーラーセイルの展開と配置が終わったわ。後は、“支点”の設置ね。」

ダニーは、リモート操作でソーラーセイルを広げ、適正な場所に展開させた。

「“支点”は、有人の船外活動が必要だな。誰が行くんだ?ダニーか? ちなみに、ボクはサイズの合う装備が無いから無理だよ。」

ソフィはブリッジ内を見回し、問いかけた。

「オレが行こう。言い出しっぺだしな。」

そう言って、クリスが名乗りを上げた。

「まあ、クリス様ったら、私の身代わりに…」

「違うと思うよ…。」

ダニーの勘違いおのろけを、ソフィはきっぱり否定した。

クリスの考えた“支点”の固定方法は、反物質の爆発力を利用したものだった。

まず、目標天体の通過ルートを正確に導き出し、1辺が50キロメートルのソーラーセイルを垂直に設置。目標天体との接触時間が最長になるように、対角線が上下左右を向くように回転させる。これはヤマダの提案。

一番下の位置に来る角に1メガトンの金属ウェイトを取りつける。これは重力トラクター用に搭載されていたものだが、今回のミッションでは不要なので使用後には廃棄。

そして、宇宙船の燃料から微量の反物質を抽出、100メガトン程度の爆弾を作り、金属ウェイトから一定の距離に配置する。

金属ウェイトと爆弾の間には、宇宙船の補助推進機として装備されていた小型のソーラーセイルを挟む。これは、支持体に使われている堅牢なナノチューブネットによって金属ウェイトを保護するとともに、爆発力を拡散させず、効率的に受け止めるために使う。この小型ソーラーセイルは、太陽に逆行する復路では使えないため、使用後は同様に廃棄。

目標天体がソーラーセイルに接触すると同時に爆弾を起爆し、セイルの角部分をウェイトごと反対側にはじき飛ばす。これがうまく行けば、目標天体をセイル表面で滑らかに転がし、その回転軸をZ軸からX軸に変えることができるはずである。

 

クリスは、宇宙服を着た上で、ロボットのような機械に乗り込んで、減圧室に待機していた。このロボットのような機械は、腕力を強化するだけのものなので、足はついておらず、上半身だけ着込んだパワードスーツみたいなものだった。

「ハナミズキ君。準備ができたので、ハッチを開けてくれ。」

《イワシミズです。僕は5月5日の誕生花ですか?! ハッチ開きますよ。》

「おや、5月5日はハナショウブじゃなかったか?」

クリスは、宇宙船後部のハッチから、ゆっくりと船外に出た。

宇宙空間は驚くほど静寂。自分自身の吐息しか聞こえない。

《カニンガム博士。ボクだ。ソフィ・ミュラーだ。聞こえるか?》

「ああ、ばっちり聞こえるぜ。今、船外に出たところだ。静かだなあ。人類の危機が近づいているなんて、ウソみたいだ。」

まぶしいくらいの輝く星々に、クリスは見蕩れながら答えた。

《静寂で穏やかに見えてるかもしれないが、我々は秒速2350キロメートルの超高速で動いている。小さな石の破片に衝突しても命取りだからな。気をつけてくれ。なるべく、船やセイルの陰に隠れて作業するといい。》

「お気遣い、ありがたいね。でも、大丈夫。でかいソーラーセイルが守ってくれてるよ。」

ちなみに、宇宙船の外壁やセイルは強力なナノチューブに守られているので、多少の礫が衝突してもたいしたダメージは無い。特に宇宙船の外壁は、特殊セラミックの超硬質な装甲の下に柔軟性のあるナノチューブのネットを張る二重ガードによって、外部衝撃をほぼ完璧に防御していた。そうでもしなければ、秒速2000キロメートルを超える高速航行には耐えられないのだ。

《それから、目標天体の衝突まで20時間しかない。14時間以内に作業を終えてくれ。もし、間に合いそうもなかったら、ダニーを手伝いに行かせる。…うるさい、ダニー。まだ呼んでないぞ。》

「なんだ?ダニーは、嫌がってるんじゃないのか? 心配するな。船内で準備作業はほとんど終えている。あとは組み上げるだけだ。」

もちろん、ダニーは嫌がってるのではなくて、手伝いに行きたがって騒いでいたわけだが。

こうして、クリスは独りで装置の組み立てを始めた。

 

「しかし、この作戦も結局運任せだな。目標天体がどれだけ減速するかも回転軸がどれだけ傾くかも予測不能。」

ソフィは、肩をすぼめて掌を上に向け、お手上げのポーズをした。

「すみません…」

条件反射で謝るヤマダ。

「いや、そういうつもりはないんだ。他に有効な手段があるわけでもないし。」

《ソフィは、心配性だからな。ハッキリしたデータが出てこないのが気に入らないんだろ?》

突然モニターに映し出されたミシェルが言った。

「当然だ。正確な予測データが無ければ次の一手を決定できないからな。その場しのぎは命取りだよ。」

腕を組みながら、ソフィは自信に満ちた顔で答えた。

「少佐…言われてますよ。」

「は?ケンカ売ってんの?あんた。」

ヒソッと耳打ちしたアレックスに、ヨーコはムッとした顔を見せた。

《それでも、目標天体の近くで爆発を起こして方向を変えるというオレの案より、ヤマダの“旗つつみ”の方が有効だろ? 少なくとも、確実にX軸側に角度をつけられるし、減速も期待できる。》

「“旗つつみ”?なんだそれ。」

初めて聞く名称が引っかかり、聞き返すソフィ。

《いや、オレが勝手につけてみた名前だけど、それっぽいだろ? 20世紀のゴルフ漫画に出てくる技なんだが…》

「そう、それです!」

ヤマダは、モニターに映ったミシェルを指差して叫んだ。

「主人公がピン上の旗を狙ってショットするんですけど、旗に包まれたボールがそのままスルスル〜ってホールに吸い込まれていくんです。(ピタゴラ…の)マニアとしては痺れますよねぇ…。」

うっとりした顔で身をよじらせながら語るヤマダ。

《マジかよ…》

ミシェルは、名案の意外なネタ元を知らされて、閉口した。

 

そのころ、船外活動中のクリスは、金属ウェイトとソーラーセイルを接合していた。

この作業は、極めて重要かつ面倒なものだった。いくら、小型のソーラーセイルを間に挟んで保護するとはいえ、至近距離で100メガトンの爆弾が爆発するのである。金属ウェイト自体は、おそらく2〜3秒で融解してしまうだろうが、それ以前に接合部が崩壊しては意味が無い。

そこで、クリスは、ソーラーセイルそのものでポケットをつくり、その中に金属ウェイトを収納する方法を考えていた。ところが、そのポケットを作るのが、また一苦労だった。ソーラーセイルに使われている強化されたナノチューブは、事実上切断するのが不可能な素材。つまり、縫合するための穴を開けることさえもできないのだ。唯一の切断方法は、特殊な溶剤を浸透させてナノチューブを硬化させて粉砕することだったが、数十箇所でその作業を繰り返すとなると、なかなか骨の折れることだった。

「こりゃあ、かなわんなあ。やっぱり、手助けが必要だったかあ? それに、この光景、最初は見蕩れたけど、冷静に考えるとゾッとするねぇ…。」

クリスの立場、というか位置から見た宇宙は、一見静寂で美しいものだったが、止まって見えるのは遠くの星々だけであって、近くに浮遊する塵や石ころレベルの天体は、凄まじいスピードでビームのように通過していた。

「くそぅ。あんなのに直撃されたらひとたまりも無いぜ。」

さらに、ソーラーセイルからも、ビリビリといった強烈な振動が、作業する手に時折伝わってきていた。塵や礫などの小天体が、セイルに衝突しているからに他ならない。秒速2350キロメートルは、最も高速なライフル弾の初速×2000倍以上。音速に直すとマッハ8000を超える。静寂どころか、マフィア同士の銃撃戦に巻き込まれた方が、よほど安全な状況なのだ。

それは、クリスが、ふと気を抜いた瞬間だった。ソーラーセイルに開けた穴の一つから米粒サイズの小石が飛び込んできた。いや、厳密に言うと、それは肉眼で捉えきれるスピードではないのだが、穴の大きさから察するに、そのくらいのサイズが妥当であろう。

その小石は、パワードスーツの電気ケーブルを無惨に引きちぎった。

「しまった!」

(…しかし、あり得るのかねえ?確率的に考えて)

 

「ん?」

特にすることもなく、ブリッジでゴロゴロしていたヨーコが、直感的に何かを感じ取った。

「どうしたんですか?少佐」

「いや、ソーラーセイルって太陽光を受けて推進するのよね? なんで、今、加速してないの?」

ヨーコの疑問はもっともだった。ソーラーセイルが加速しているなら、慣性航行中の宇宙船を追い抜いて、どんどん先に進んでしまうはずである。

「極めて都合のいい話なんだが、位置関係で火星の陰に隠れているから、現在太陽光は届いていないんだ。しかし、心配するな。目標天体との接触時には、ちゃんと(太陽光が)届いてるから。」

ソフィの説明は、説得力があるようで、実はそれほどでもなかった。

「確かに都合のいい話…。それにしても暇ねえ。」

「カニンガム博士の作業待ちですからね。今後の航行プランも、“旗つつみ”の結果如何ですから。」

「ったく。何をぐずぐずやってんのよ〜。あの変態は」

ヨーコは、クリスが晒されている危機など知りもせず、グダグダと文句を言っていた。

「ソフィもやることないんだったら、ちょっとは休んどきなさい。アタシは起きてるし、ヒューストンともつながってるから平気でしょ? 何かあったら起こすし。」

ダニーは、出航以来ほとんど寝ていないソフィを気遣った。

「そうだな。じゃあ、しばらく頼んだ…」

言ってる途中で、ソフィは寝落ちてしまった。

「あらあら、相当疲れてたのね。本当、寝顔だけはかわいいんだから。」

「本当ですねー。」

ダニーとヤマダは、ソフィの寝顔を覗き込んでクスリと笑った。

「ヤマダちゃんも今のうちに寝ときなさい。寝れるとき寝とかないと、身が保たないわ。」

「はい」

「ジョーンズちゃんも…」

ジョーンズは、すでに寝ていた。

「あー、大佐なら、4時間くらい前から寝てたわよ。」

後ろを振り向いてダニーに教えるヨーコ。

「き、気づかなかったわ…」

船長のあまりの存在感の無さに、ダニーは戦慄した。

「アレックス。アンタも寝ときなさい。私が寝たい時に起きててくれないと困るから。」

「はいはい。」

珍しく部下を気づかう(?)ヨーコに、アレックスはまんざらでもない顔で答えた。

 

 

しばらくすると、クリスが船外活動から戻ってきた。

「おーい、待たせたな。通信系統をやられたんで、途中連絡できなくてすまなかった…って、みんな寝てんのかよ!?」

ダニーも、いつの間にか寝落ちていたが、ヨーコだけは起きていた。

「ち、戻って来たか。死亡フラグ出まくってたくせに…」

「少佐!オレのために起きていてくれたのか。うれしいねえ。」

クリスは、抱きしめてくれと言わんばかりに両手を広げ、ヨーコに近づいてきた。

「…で、今なんか言った?」

「いやあ。死亡フラグ出まくってたくせに、戻ってきやがったのか?…ってね。」

ヨーコの発言はブレない。

「ん…、ああ、カニンガム博士。戻られましたか。」

二人のやり取りを耳にしてアレックスは目を覚ました。

「おう、バッチリ仕上げてきたぜ!」

クリスは、得意顔でアレックスの肩をポンと叩いた。

「ハイ、みんな起きてー!! 作業終わったそうよ!」

ヨーコが大声で呼びかけると、皆ムクリと起き始めた。

「ふぁ〜あ。あぁ、カニンガム博士、ご苦労さま。何か問題はなかった?」

ソフィは、大きなあくびをしながら、クリスに尋ねた。

「途中、通信ケーブルをやられたが、特に問題はない。」

クリスは、親指をグッと立てて、キザったらしくウィンクした。

「よかった、クリス様。無事戻ってきたのね!」

ダニーも目を覚まし、寝ぼけがてらどさくさまぎれにクリスにハグした。

「HaHaHa、ダニーは大げさだな。」

という言葉とは裏腹に、必死でダニーを引きはがすクリスだった。

 

「さて、のんびりと慣性航行を楽しんでたんだから、減速はちょっとキツいわよ。」

「いや、“のんびり”って、オレ死にそうだったんだけど…」

ヨーコにとって、クリスの苦労など知ったことではなかった。

「これから、準惑星ケレスを目指して減速航行に入りますが、現時点で毎秒2350キロメートルもかましているので、予定通りのマイナス9.8メートル毎秒毎秒の加速度で減速すると、目標を9750万キロメートルもオーバーしてしまいます。」

ヨーコは、航宙図をモニターに映し、現状を説明した。

「予定通りケレスの手前で十分な減速状態にするためには、マイナス15メートル毎秒毎秒で減速しなくてはなりません。えー、つまり、このブリッジ内に、地球の約1.5倍の重力がかかります。もちろん、命に関わるようなものではありませんが、24時間程度続きますから、頭痛、貧血、腰痛、歯痛など微妙な症状が出る人もあるかもしれません。」

それぞれ、ソフィ=頭痛、ヤマダ=貧血、ジョーンズ=腰痛、ダニー=歯痛がビクッとなった。

「脚もムクむわよ〜。ヤマダちゃん」

「いやです!そんなの困ります!!」

「だまらっしゃい!」

ヤマダのわがままなどものともしなかった。

「それは、まあ、まだ序の口。秒速10キロメートルまで減速した後、準惑星ケレスの重力を利用して、船体を180度急旋回、いわゆる重力アシストを行います。ハイ、この中で重力アシスト未経験の人〜。」

ヤマダだけが手を挙げた。

「まあ、惑星間航行を経験した人は、だいたい体験済みよね。初めての人たちには、ちょっとキツいかも知れないけど、まあ死にはしないわ。」

ヨーコは、ちょっと意地悪そうにニヤリと笑って言った。

「重力アシストって、そんなに大変なんですか?」

ヤマダは、不安げな顔をしてソフィに耳打ちした。

「どうということはないよ。ちょっと過激なジェットコースターみたいなもん。」

ソフィも冷たかった。

「ところでヨーコ。その重力アシストの件でちょっと提案があるんだが…」

「なーに?ソフィ。」

ご機嫌な顔のヨーコ。

「我々は、のんびりと高速で慣性航行を楽しんだ上に通常よりも速いペースで減速するわけだから、予定よりもだいぶ早く目標天体に追いつくことになると思う。そこで、乗員に負担の大きい重力アシストはやめようと思うんだ。」

考えもしなかった提案をソフィから聞いて、ヨーコは一瞬で露骨な不満顔になった。

「ええ〜っ?!」

「いや、実は何度計算し直しても、重力アシストを使うメリットがほとんど無いんだ。そもそも、重力アシストを使う理由は、燃料の節約と手っ取り早く船体の速度と方向を変えることなんだが、比推力も加速も優れている反物質エンジンの場合、一旦停止してから方向転換した方が効率がいい。しかも、ケレス程度の重力では、方向を変えるにしても、そのきっかけを作るくらいにしか使えないんだよ。」

ソフィが言うことはもっともで、実際、重力アシストを使って短縮できる時間は数十分程度だったし、燃料に至っては積載量のゼロコンマ数パーセントしか節約できなかった。むしろ、惑星の重力から脱出する時にブースターを使った場合(パワードスイングバイ)、その燃料が無駄遣いになってしまう。

「ああ、それについては、オレも同感だ。反物質エンジンを使った恒星間航行の場合、元々重力アシストは全く想定していないんだ。今回みたいな中途半端な距離の場合、あるいは必要なのか?とも思っていたのだけどね。」

クリスが、ダメ押しの一言を言った。

「わかったわよ。」

ヨーコは、がっくりと肩を落とした。

「ソフィさん。ヨーコさんは、どうしてあんなに残念そうなの?」

ヤマダは、ソフィにこっそりと聞いた。

「ヨーコは元々スピード狂の戦闘機乗りだからな。重力アシストのスリリングな加速(正確には重力離脱時の加速)が楽しみだったんだろう。」

ソフィも、ひそひそ声で答えた。

「ああ、もう。また、航行プランの書き換えしなきゃいけないじゃないの!」

ヨーコは少し声を荒げた。

航行プランは、乗員の負担を極力少なくした上で、燃料・時間などを考慮し総合的に導き出すものだから、他のクルーがこれに口を出すことは、あまり行儀の良いことではない。

だから、ソフィも少々後ろめたさを感じていた。

「すまん、ヨーコ。余計な手間をかけさせてしまうな。」

「…。気にしなくていいわ、ソフィ。このミッションの後半は、何が起こるかわからないのが前提だもんね。まあ、前半も十分イレギュラーだったけど。臨機応変。実質、指揮権を持ってるあんたに従うわ。」

ヨーコは「やれやれ」といった顔で答えた。

そこへ、ジョーンズが唐突に口を割り込ませてきた。

「うおっほん。そうだな。私もそれがいいと思う。」

取ってつけたようなソフィへの賛同。

「は?」

怪訝そうな顔をするヨーコ。

「少佐…、マズいですよ。大佐の前でこれ見よがしに“実質、指揮権”とか言っちゃあ。」

アレックスは、ヒソヒソ声でヨーコに苦言を呈した。

ヨーコは、それを聞いて、「ああ、なるほどね」という顔になった。

「実質指揮権を持ってるソフィとミッションディレクターのミシェルに従うわ。」

ヨーコの訂正は、身も蓋もなかった。

 

 

「では、今から減速航行を開始します。無重力から重力環境に移行する際は、不安定になるので各自シートロックを固定してください。」

乗員に警告を告げるアレックス。

今更説明すると、この船のブリッジは、船内で360度自由な方向に回転できるようになっている。これは、航行状態によって有人スペースに最適な角度が、それぞれ違うからだ。例えば、加速時には、前方から後方に重力が発生するので、進行方向に天井が来るように角度調整するし、減速時には、逆に進行方向に床が来るようになっている。重力アシスト時には、やはり前方から後方に重力が発生するのだが、運動中に重力が変化するので、シートベルトで身体を固定しつつ正面を向くことになる。

なお、慣性航行の期間が長い場合、クルーは遠心力を利用した人口重力ブロック(居住ブロック)に極力退避するようにし、長期間の無重力状態で健康を害さないような配慮が必要になる。

 

減速運動を開始すると、少しずつ重力が発生、宙に舞っていたヤマダの長い髪が徐々に垂れてきて、ユニフォームの袖や襟も重みを帯びて肌に貼り付くのがわかった。それよりも、モニターに映る“旗つつみ”の装置が、少しずつ前方に移動していくのに、ヤマダは違和感を感じた。

装置は秒速2350キロメートルで前進し続け、宇宙船は15メートル毎秒毎秒で減速している。装置が前に移動して見えるのは当然のことなのだが、身体にのしかかる重力を考えると、自分たちが加速しているような感覚で、とにかく不思議だった。

「重力安定したから、もうロック外して歩き回ってもいいわよ。できるものならね。」

ヨーコは意味深にそう言うと、すっと立ち上がり平然とブリッジ後方のドリンクコーナーに歩いて行った。

「はぁ、無重力もいいけど、やっぱり下に引っ張られてる方が安心しますねぇ。」

ヤマダは、伸びをしようとして腕を持ち上げたが、まるで自分の腕ではないみたいに重かった。そこで、立ち上がろうとしてみたが、腰がちょっと浮いた段階でめまいがしたので、諦めた。

「な、なんなんですか? これは…」

青ざめた顔で呼吸を乱すヤマダ。

「慣性航行で、10時間ほど無重力状態にいたからな。通常の重力でもキツいのに1.5Gではこんなもんだ。まあ、おとなしく座ってれば、そのうち慣れるよ。」

ソフィは、慣れたもので落ち着いていて、あえて立ち上がろうともしなかった。

「アタシらは訓練されてるからヘッチャラだけどね。一般人は慣れるのに、丸一日かかるわ。まあ、その間はダラダラしてなさい。」

ドリンクパックを片手に、余裕しゃくしゃくで歩いて操縦席に戻るヨーコ。

「訓練してても、普通は立てませんよ。少佐は特別、いや異常です。」

「根性が足りない!」

ヨーコは、泣き言を言うアレックスの頭をドリンクボトルで小突いた。

「てっ」

とにかく、ヨーコ以外のクルーたちは、しばらくの間、シートに縛りつけられたような状態で過ごすことになった。

 

 

─それから、20時間後─

「閃光確認しました。接触したようです。」

オペレーターのイワシミズが、はるか1400万キロメートル前方に閃光を捉えた。

“旗つつみ”の装置と目標の天体が接触したのだ。

「結構明るいな。」

ジョーンズは、身を乗り出してモニターの画像を食い入るように見た。

「距離があるとはいえ、100メガトンの爆発だからな。しかも、反物質の爆発は、核よりも密度が濃くて明るいんだ。」

自分の仕事結果を得意顔で語るクリス。

「微妙に横に伸びてる光は、セイルとの摩擦光かしらね?」

ダニーは、目標天体とソーラーセイルが激しく擦れ合ったであろうことを推察した。

「回転と速度は捕捉できたのか?」

「いや、無理だろう。遠方とはいえ、目標天体とこの船の相対速度は秒速1500キロメートル近いからな。ハッブルに任せた方がいい。」

結論を急かすジョーンズに、ソフィは淡々と答えた。

ちなみに、ここで言う「ハッブル」とは、ハッブル宇宙望遠鏡のことである。ただし、この時代のハッブルは22代目。膨大な数の宇宙望遠鏡や観測機器を統合した全方位宇宙観測システムの総称で、高画質、ハイスピードで、全宇宙を記録し続けている。目標の天体を最初に発見したのも、この観測システムだった。

「うまくいってるかなあ。ドキドキしますね。」

ヤマダは、目を爛々と輝かせていた。

「ボクは、うまくいってないんじゃないかと思ってドキドキ…いや、なんでもない。」

ソフィは、珍しく弱気だった。

 

─約1時間後─

《こちら、ヒューストンだ。ハッブルのデータ解析が完了した。》

「ミシェルか?どうだった?!」

ジョーンズは、身を乗り出した。

《まず、進行方向は、残念ながら変化が無かった。いまだ地球まで一直線のコースをとっている。》

ソフィたちも、進行方向までは変えられると思っていなかったので、これは想定の範囲内だった。

《次は、速度。これもダメだった。現在、秒速320キロメートルと変わらず、だ。》

これもダメで元々、それほど期待はしていなかったが、全く効果が無いとなると、皆落胆の色を隠せなかった。

《そして、回転方向。》

一番、重要なところである。

《回転方向は、概ね横回転に変わった。回転数は、毎分約70回転前後。進行方向から見て太陽側に17度ほど引っ張られ、水平も6度ほど角度が出てしまったが、たいした問題ではないだろう。》

「やったか!!」

思わずガッツポーズで叫ぶジョーンズ。

「やったぁ!!」

ヤマダは、立ち上がってソフィやダニーとハイタッチなどしようととしたが、(1.5Gの重力のせいで)めまいがしたのでそのままシートにへたり込んだ。

「ふう…、よかった。これで軌道が変えられるよ…。」

座ったままで、ソフィは安堵のため息をもらした。

《そもそも回転が起こった理由もわかっていないし、今後の変化もありうる。手放しに安心はできないな。しかし、とにかく、ひとまずは…。よかったな、ソフィ。》

「ヤマダのおかげだよ。」

ソフィは、少しだけ口元を緩めながら、親指を立ててミシェルに答えた。

第2章 ミッション・スタート

ユニフォームに身を包んだミッションクルーたちは、シャトル船に乗って月の裏側まで来ていた。

「あれが今回使う船? 意外と小っさいわねえ。」

ヨーコは、シャトル船の小窓から、月面にある宇宙船ドッグの方を見て言った。

「燃料が小型だからな。全部合わせてもアイスホッケーのパックくらいにしかならないが、その気になればアルファケンタウリまで20年で行ける。」

キザな口調でヨーコに解説するクリス。

「ほぉー」

ヨーコは、クリスの顔も見ず素っ気なく答えた。

「いやはや…、大変だったよ。これだけの反物質をつくるのに、どれだけ苦労したか。そもそも、反物質というものはね…」

クリスは、聞かれてもいない蘊蓄を、勝手にベラベラとしゃべり続けた。

(っさいなあ…)

ヨーコは、やはりクリスのことが心底苦手だった。

 

 

─宇宙船、ブリッジ─

「諸君、新造宇宙船AXX2-AMβにようこそ。」

ブリッジの中心部、ひときわ高い位置に設けられたキャプテンシートから、一足早く乗船していたジョーンズが、クルーたちを出迎えた。

「なぁに?この船、名前も決まってないの? 型式番号とは味気ないわねえ。」

乗船するなり、いきなりケチをつけるヨーコ。

「仕方ないさ。本来太陽系外惑星の探索用に作られたプロトタイプだからな。必要ならば、君のためにふさわしい名前を考えるよ。」

クリスがしつこく絡んできたが、ヨーコはこれを無視して操縦席に向かった。

 

操縦席は、正・副・予備の三席。ヨーコは真ん中の正操縦席に、アレックスはその左側の副操縦席に座った。

「お、AX系と同じインターフェイス。」

操縦桿を握って前後左右に動かし、感触を確かめるヨーコ。

「ええ、これなら、すぐにでも飛ばせますね。助かります。」

アレックスは、ヨーコとは対照的にコンピューター機器を綿密にチェックした。

 

その他の配置は、左前部にクリス・カニンガム。動力システムの管理を担当。左後部には、天体の構成分析等を行うダニー・キャノン。右前部には、オペレーターのイワシミズ。そして、実質作戦指揮を担当するソフィ・ミュラーとその補佐をする予定のヤマダは、操縦席のすぐ後ろのシートに陣取った。

また、ブリッジとは別に、機関室にはエンジニアと医療スタッフが常駐しているのだが、ストーリーに関わることは一切無いので、以降割愛する。

 

各々が自分の担当する機器を確認していると、正面に設置された300インチのメインモニターに、地球からの通信が入った。

《皆さん、おはようございます。ヒューストンのミシェル・ゴンドリーです。》

(あ、この人知ってる。面接官の意地悪な人だ…。)

ヤマダは、まんまと自分を嵌めて、こんなところまで連れ出した悪人の顔を見て、寒気を感じずにいられなかった。

《ミッションプランについては、数時間前に送った通りですが、ざっくりおさらいしますよ。宇宙船は、まず65時間かけて秒速2350キロメートルまで加速。それからさらに65時間かけて減速しながら、小惑星帯の準惑星ケレス付近まで飛んでもらいます。そして、180度方向転換した上で、目標天体の背後から接近してランデブー。高強度レーザーなどを使って目標天体の進路を変更し、それが終わったら「ニール」まで帰還してください。途中で不測の事態が起きた場合は、各自臨機応変で。もちろん、地上からも管制し続けますので、連絡は怠らないように。以上、何か質問は?》

ミシェルは、あまりに素っ気なく、そして流暢に“おさらい”してみせた。

「本当にざっくりしてるわねえ。“プラン”が聞いて呆れるわ。」

ヨーコは、呆れ半分ケチをつけた。

《あまりに不確定要素が多いんでね。まずは目標天体に接近しなければ、具体的なことは何も決められない状態です。ご理解ください。》

「その“目標天体”って言い方もどうにかならないの?ピンと来ないのよ。」

《彗星とも小惑星ともわからないので、名前をつけにくいんです。》

「別に学術名じゃなくてもいいから、なんかコードネームつけましょうよ。」

一応軍人のヨーコとしては、作戦とかその対象とかには、何かと名前を付けるのが当たり前な感じだった。

「いいよ、“目標天体”で。変な名前つけると、呼び間違えたりして、かえって面倒だから。」

ソフィは、あくまで合理的。

「それから、秒速2350キロメートルって何?そんなスピード、聞いたことも無いわ。」

さらに、難くせをつけるヨーコ。

《燃料に反物質を使ったその宇宙船なら可能です。ひたすら等加速度運動を続けるだけだから、普通の航行と変わりませんよ。宇宙では速度なんて相対的なものでしかありませんから。》

ついさっき、浴場で自分が得意げに言っていたようなことをミシェルに言われてしまい、ヨーコは少しムッとした。しかし、まったく根に持つ性格ではないので、

「…そ?じゃあ、…あとは問題ないわ。」

と言って、あっさりと納得した。

(少佐…、あんたの方が大雑把ですよ…)

アレックスは、ヨーコの隣で苦笑いした。

 

《ああ、そうだ。言い忘れていた、ソフィ。》

「何だ?」

《悪い知らせなんだが…。小惑星群を抜けた辺りで、目標天体が回転を始めた。進行方向に対してほぼ垂直の回転だ。現在は、まだ1日30回転程度だが、徐々に回転速度を増している。》

「ちょ、それは話が違うよ!! ……原因はいったいなんなんだ?」

ソフィは、珍しく動揺したが、すぐに平静を取り戻し、ミシェルに尋ねた。

《今のところ、不明だ。木星の重力の影響か、小惑星群で何かに衝突したか…。判明しだい連絡するよ。》

(バカか…。木星の重力なんかで回転するかよ。小惑星にしたって、回転するほど強くぶつかったら、軌道が変わるだろ。)

ソフィは、いつになくイラ立ちの表情を見せた。

「しかし問題だぞ、これは。進行方向に対して垂直な回転だと、用意している装備がほとんど役に立たない。地表に衝突した時のダメージも倍増する。」

《泣き言か?ソフィらしくもないな。目標に接近すれば、解明されることもあるはずだ。それにな……ヤマダなら何とかできるんじゃないのか?》

そう言って、ミシェルは微かに含み笑いをした。

「ちょっと、待て。どうしてここでヤマダなんだ?表計算は関係ないだろ?」

“ヤマダ”と聞いて、ジョーンズが口を挟んできた。

「そうですよ。私、隕石の回転なんてわかりません!」

ヤマダ本人も、わけがわからず当惑した。

《おいおい、ヤマダ。君までそんなことでどうするんだ。それと、“隕石”は地上に落下した天体のことだから、そういう縁起の悪いことは言っちゃダメだ。》

「あ、すみません。また言っちゃった。」

肩をすぼめて、「てへ」っと舌を出すヤマダ。

《まあ、今は説明してる時間がないので、とにかく出発しちゃってくださいな。ランデブーが遅れると計画に支障を来します。 フィンチャー少佐、頼みましたよ。》

「あいさー。」

ヨーコは、すごく適当に返事をして、モニターを航行モードに切り替えた。

「よくわかんないんだけど、エンジン行けるのね?」

ヨーコは、クリスの方にチラリと目をやり、確認を求めた。

「ばっちりだ。いつでも飛べるぜ。」

親指を立て、白い歯を見せ、クリスは無駄に大きく笑顔でこたえた。

ほとんどの宇宙船エンジンが、核融合炉や太陽光など常時発電するものを動力源としているのに対し、反物質エンジンは、出力0の状態からいきなり高出力をひねり出す。このシステムに、ヨーコはどうも馴染めなかった。

「ああ、それともう一つ。船名は型番だし、目標天体の名前も無いっていうのはどうも寂しいんだけど、せめてミッション名くらいはつけとかない?」

ヨーコは、誰かに対して、というわけでもなく提案した。

すると、ジョーンズが「オホン」と咳払いをして口を開いた。

「そうだな、私も軍人のはしくれ。ミッションに名前がついてるとやりやすい。実は、ここに来る前から考えていたんだ。いいか…『星の…』」

「発・進・!」

ジョーンズの考えたミッション名が、かなりしょうもないことを予想したヨーコは、その言葉をかき消すように力強い声を発し、宇宙船を発進させた。

 

 

宇宙船は、みるみるうちに高度を上げ、ある程度まで上昇すると、スムーズに方向を転換、準惑星ケレスに向かって一直線に加速を始めた。

「どうだい、反物質エンジンの感想は? すごい加速だろう? 乗り心地も良い」

クリスは、得意げになってヨーコに話しかけた。

ヨーコは、呆然とした顔で操縦桿を握りしめたまま、無言になった。

「言葉が出ないくらい衝撃的だったのかい? そりゃそうだろう。こいつは、今までのエンジンと根本的に“作り”が違うからね。」

クリスは、鬱陶しいくらい身振り手振りをつけてしゃべり続けた。

そんなことなど気にも留めず、ヨーコは、すっと立ち上がり、ひとこと言い放った。

「衝撃も加速感もない…。家電品みたいで、つまらん!」

「え…?」

いやらしい動きと喋りをやめて、クリスはその場で固まった。

「アレックス。よく考えたら、私ビール飲んじゃってたわ。飲酒運転マズいっしょ。あとよろしくね。」

「ちょ、少佐。あんたなに言ってんすか?! それと、操縦前にビール飲むなよっ!!」

ブリッジの奥に立ち去ろうとするヨーコに、アレックスがくってかかった。

「どうせ途中交替するでしょ? ケレスまではオートパイロットモードだし。」

ヨーコは、後ろを向いたまま「バイバイ」と手を振りながら、そのまま居住ブロックに引っ込んでしまった。

「・・・・・・。」

ヨーコの、あまりに突拍子もない行動に、ヤマダは呆然とした。

「まあ…気にするな。いつものことだから…。」

そう言いながら、ソフィも少々あっけにとられていた。

「アレックス君、今日は君に一本取られたけど、オレも負けないからね」

クリスは、アレックスの耳元で、意味不明のことを囁いた。

「あんたも、何言ってんだーっ?!!」

アレックスはキレた。

 

 

「イワスズミ。目標天体の最新データと、今後の軌道シミュレーションを出してくれ。」

ソフィは、オペレーターのイワシミズに指示を出した。

「イワシミズです。涼しげでいいですけどね。軌道、速度とも予測通り変化ありませんが、回転速度は徐々に上がってます。現在、毎時約3回転。」

「このまま行くと、ランデブー時にはどうなっている?」

「累乗的に加速しているので、現在の加速度を維持すると、毎分90回転前後…。」

聞こえてきた数字は、厳しいものだった。

「冗談じゃないな…。」

ソフィは、険しい顔をして、シミュレーションデータが映し出されたモニターを凝視した。

《ミシェルだ。ソフィ、待たせたな。目標天体の回転速度の予測結果が出たぞ。》

モニターに、ミシェルの顔が映った。

「遅いぞ、ミシェル。こちらでは、すでにイトミミズがやってくれた。」

「イワシミズです! 僕は蚊の幼虫ですか?!」

「それは、ボーフラだろ。」

イワシミズの残念なツッコミを、ソフィは容赦なく投げ返した。

《しかし、なぜ、こんなに回転速度が速まっていくんだ?常識では考えられないな。》

「それは、ボクの台詞だ。そもそも、天体の回転運動はビッグバンに由来しているのだから、通常は少しずつだけど速度を落としていくはずだ。仮に、何か回転を起こすような衝撃が加わったにしても、速度を増していくというのは非常識だよ。」

《そうは言っても、事実は事実。現に回転速度は増している。どうするつもりだ?》

「何とかして、回転軸の方向を変える必要があるな。しかし…」

ソフィは、そう言いかけて言葉を詰まらせた。高速で回転する巨大天体の動きを制するのは難しい。進行方向はもちろん、回転軸の方向を変えるのでさえ、とてつもないエネルギーが必要になるからだ。

《燃料の反物質を目標天体の近くで爆破する、というのはどうだ?》

「いや、目標天体の構成物質も重心もわからない状態では、爆発力の調整が難しい。回転させ過ぎてやり直し、なんてことをやってる時間も無い。その逆もしかり、だ。やるとしても、最終手段だな。」

《じゃあ、どうする? 策はあるのか?》

「・・・・」

ソフィは沈黙した。

《ヤマダはどう思う?君なら、何かあるんじゃないのか?》

「え…、わ、私ですか?」

ミシェルの突然の“振り”に、ヤマダはビックリして、思わず声を吃らせた。

「そうだ、ミシェル。どうして、ここでヤマダなんだ。確かに、ヤマダは1分間に300文字のタイピングができるが、だからといって1分間に90回転をどうにかできるわけではないだろう?」

ジョーンズは、ウマいことを言ったつもりで、ちょっとドヤ顔になっていた。

《大佐…。全然ウマくないですよ》

ミシェルの冷めきった反応に、ジョーンズは赤面しながら口をパクパクさせた。

「ヤマダは、ルーブ・ゴールドマン・マシンの達人なんだよ。」

しょうがないなあ、という顔をして、ソフィが口を開いた。

「ルーブ・ゴールド…って、カラクリ仕掛けの?」

目をパチクリさせるジョーンズ。

「そう。日本では“ピタゴラ…”などと言われているのだけど…」

「なぜ“ピタゴラ…”?」

「その下りはもういいって!黙って聞け!!」

「す、すみません…」

ソフィに怒鳴られ、ジョーンズは沈黙した。

「確か、4年いや5年前か。インターネットの動画サイトに、あるルーブ・ゴールドマン・マシンの実演映像がアップロードされて話題になったんだ。あまりに巧妙で不可思議な動きをするその装置は、世界中の物理学者の視線を釘付けにした。その後も数年に渡り同一アカウントから“作品”が投稿され続けたのだが、最後の方は物理学の常識を覆すようなシロモノだったんだ。」

ヤマダは、ソフィの話が自分のことだとは認識できておらず、キョトンとしていた。

「物理学者たちは、この謎解きに躍起になり、装置を再現することがちょっとしたステータスになったのだが、結局、誰一人としてこれを実現させた者はいなかったという。そのうち、件のピタゴラ…は、反重力装置やフリーエネルギーの原理に近いのではないかという都市伝説さえ囁かれる始末…。」

「まさか…」

ジョーンズは、思わず生唾を飲み込んだ。

「その投稿者のハンドルネームが、“Yamada”だったんだ。」

そう言って、ソフィはヤマダを指差した。

「それ、私かも…です。友だちに手伝ってもらって作りました。」

ヤマダは、恐縮そうに、小さく手を挙げて答えた。

「その後、装置の設置場所がどこかの大学らしいということと、アニメキャラの格好をして踊る投稿者の別動画を参考に、大規模な“Yamada”探しが始まったんだ。それこそ、世界中の大学を調査したが、該当する人物は見あたらず。まさか、文系だったとはな…」

「いやぁぁ!!コスプレの話はやめてください。あれは、友だちに誘われて仕方なく猫耳を…」

ヤマダは、顔を真っ赤にしてソフィの肩をつかみ、ブンブンと前後に振った。

「痛い、痛い…よ、ヤマダ。」

「ご、ごめんなさい。」

我に返り、ソフィを解放するヤマダ。

「でも、そんな大事件になってるとは知りませんでした。記念にアップして、友だち同士で楽しもうと思ってただけなのに…」

ヤマダは、恥ずかしさのあまり頭から湯気が出そうだった。

「ヤマダは、自分が投稿した動画の再生回数が気にならんかったのか?」

かき乱された髪の毛を整えつつ、ソフィは言った。

「そんなに?」

「軽く300万。あ…、コスプレのは700万回越えてたと思う。」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

ヤマダは絶叫して頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。

《あのさー、ヤマダ。それはどうでもいいんだけどさ。》

モニター越しに様子を伺っていたミシェルが、見かねて口を挟んできた。

「どうでもよくありません!! 私はもう、お嫁に行けないです。」

ヤマダは涙目になって訴えた。

《だから、どうでもいいんだよ、そんなことは。このミッション失敗したら、皆死んじゃうんだから。》

ミシェルは、冷ややかな口調でそう語り、ヤマダを恐ろしい現実に引き戻した。

「…そうでした。取り乱してすみません。」

ヤマダは、冷静さを取り戻し、ユニフォームの袖で涙を拭った。

 

《で、なんかないの? ピタゴラ…の天才として、思いついたことは。》

「あります。でも、私は物理も科学もよくわかりませんし、真空や無重力でピタゴラ…を作ったこともありません。だから、間違ってても怒らないでください。」

《心配するな。具体的な方法は、ソフィやダニーが考えてくれる。君は、思いついたことを自由に言えばいい。》

 

(2011.2.10修正)

第1章 ミッション前夜

─宇宙ステーション「ニール」─

宇宙ステーション「ニール」の一角に設けられたNAUSAのオフィスルームには、ヒゲ面の偉そうな男とその部下らしきひ弱そうな若者が、なにやら話し合っていた。

「で、クルーは全員揃ったのか? イズミワシ君。」

ヒゲ面の男は、スパイク・ジョーンズ大佐。北米連合航空宇宙軍からNAUSAに出向している宇宙船ミッションのエキスパートである。今回も、とあるミッション遂行のために「ニール」で宇宙船クルーの集結を待っていた。

「イワシミズです。いえ、ミュラー博士と“ヤマダ”がまだです。次のカーゴで到着する予定ですが。」

部下の名前はイワシミズ。ジョーンズの懐刀、というか腰巾着的な男であった。

「“ヤマダ”? ああ、ミシェルが推し込んできたやつか。聞かないな。何者なんだ?」

「さあ、私も初めて聞きます。ミシェルさんが推薦してくるくらいですから何かのエキスパートだとは思いますが…。」

「ふん、気に入らねえ。だいたい、あいつが指揮を執るミッションは、いつもろくなことがないんだ。」

 

その“ヤマダ”は、20時間以上かかる軌道エレベーターの長旅を終え、降機プラットホームに降りようとしていた。

「うわぁ、無重力! すごい、すごいよ。ソフィさん。」

「あ、いや。ボクは初めてじゃないから…。」

ソフィは、ヤマダとは対照的に、静かにカーゴから降りてきた。

「え、ソフィさん家って、お金持ちなの?」

「そういうわけでは…。それよりも、パンツが見えそうになってる。」

「きゃっ!」

ヤマダはあわててワンピースの裾を押さえた。

「あ、あと、無重力であまり元気に動くと危な…。」

「あいたーっ!」

言ってるそばから、ヤマダは柱に側頭部を強打していた。

 

そうこうしながら通路を進むうちに、二人は「ニール」の入り口にたどり着いた。

「ここから先は、重力ブロック。ボクは、ちょっと寄るところがあるから、失礼するよ。」

そう言い残すと、ソフィは「STAFF ONLY」と書かれた薄暗い通路の中に消えていった。

「?」

ヤマダは、ソフィの行動を少し不思議に思ったが、あまり深くは考えなかった。

 

重力ブロックのゲートをくぐり、ようやく「ニール」に足を踏み入れたヤマダ。と言っても、そこはまだロビーみたいな場所で、軌道エレベーターの搭乗窓口と待ち合いスペースがあるだけだった。そこには、黒いサングラスをかけた、いかにも要人警護っぽい男が立っていた。

「NAUSAのヤマダ様ですね?」

「あ、はい。」

「お待ちしていました。どうぞこちらへ。」

男は、ヤマダを近くのエレベーターに案内した。ちなみに、このエレベーターは、居住エリアに続くエレベーターであって軌道エレベーターとは関係ない。念のため。

 

「あの、研修受ける人って、他にいないんですか?」

他に指示も受けてなかったので、ノコノコとついてきてしまったヤマダだったが、少し不安に感じて、男に質問した。

「他の皆様は、すでにお集りです。」

「そうなんですか? 遅刻はしてないつもりなのになぁ…。」

「私も、細かいところは聞いておりませんので。」

男は、極めて事務的な会話しかしようとしなかった。

「着きました、ここです。」

ヤマダが案内されたのは、何か厳重そうな扉の前だった。

 

 

宇宙ステーションの、とある会議室には、数名の「関係者」が秘密裏に集められていた。中には、軍の制服を着た者、スーツを着た者、科学者のように白衣に身を包んだ者もいた。それから、ヤマダとカーゴに同乗したソフィの姿もあった。

彼らはお互い顔なじみのようで、仲良く談笑する声が聞こえた。

 

「諸君、おはよう。」

部屋の奥から、ジョーンズ大佐が姿を現すと、一同会話をやめ、姿勢を正して彼に敬礼をした。…が、すぐにまた楽な姿勢になって会話を始めた。というのも、彼らの大半がジョーンズ大佐のことをよく知っているので、半ば馴れ合いのような関係になっていたのだ。しかも、ほとんどの者は軍人でもないので、厳密な上下関係もなかった。

「全員揃ったようだな。イミシワズ。」

「イワシミズです。いえ、例の“ヤマダ”が、到着していません。」

「前の便で着いたはずだろう?」

「現在、SPの者が案内して、こちらに向かっているそうです。」

ジョーンズとイワシミズがそんな会話をしていると、入口のインターホンに音声が入った。

《ヤマダ様をお連れしました。》

「…よし、通せ。」

ジョーンズが返事をすると、間もなくハッチは「プシュー」と音を立てて開いた。そこには、ワンピースにサンダル、おまけにバックパックという、あまりに場違いな格好の女、ヤマダが立っていた。一方、ヤマダが見た室内には、並々ならぬ貫禄というかオーラをまとった面々が一斉に自分に注目している光景。

ヤマダは、瞬間的に、この人たちは決して「新人」などではない、と認識した。

硬直して立ちつくすこと数秒…。

そして、次の瞬間、ヤマダは「す、すみません。まちがえました><。」と頭を深々と下げ、会議室を出て行こうとした。

「間違いではない。入りたまえ。」

ジョーンズは、一瞬唖然とした顔になったが、すぐに厳しい表情に切り替え、ヤマダを引き止めた。

(これが“ヤマダ”か。しかし、なんて格好をしてるんだ…。)

 

「全員揃ったところで、ミーティングを始める。といっても、のんびり議論している時間は無いので、顔合わせとミッションの概略だけ説明させていただくが。」

円卓になったミーティングテーブルを囲み、集まった8名が着席、ジョーンズが話を始めた。

ヤマダは、ジョーンズの真っ正面に座ってしまい、状況を把握できず、悪い汗をダラダラと流した。左隣には、仏頂面をしたソフィが座っていた。

(何これ。これが新人研修?あのヒゲの男の人が教官? 「ミッション」とか言ってるんだけど…。でも、新人のソフィさんがいるんだから、やっぱり研修よね!)

ヤマダは、不安とか憶測とかで、色んなことをグルグルと考えていた。

 

「まず、自己紹介をしてもらおうか。ここにいるほとんどが、どこかしらで一緒に仕事をしたことがあると思うが、初対面の者もいるからな。そうだな…。ヨーコ君から時計回りで頼む。」

ジョーンズが言うと、ソフィの左隣に座る、軍の制服を着た長身の女性が、スッと立ち上がった。東洋系の凛々しい顔立ちと美しい黒髪、そして、鍛えられたプロポーションは、いかにもベテランの軍人、という感じだった。

「ヨーコ・フィンチャーです。北米連合航空宇宙軍に帰属し、少佐の階級を賜っております。今回のミッションでは、操縦士を任せていただきます。」

ヨーコは、ペコリと頭を下げて着席した。

続いて、やはり軍の制服を着た、体格のいい男が立ち上がった。

「同中尉のアレッサンドロ・マケインです。副操縦士として、フィンチャー少佐の補佐をさせていただきます。名前は発音しにくいので、“アレックス”とお呼びください。」

アレックスも軽く頭を下げて着席した。

「フィンチャー少佐とマケイン中尉は、私のミッションに何度も参加してもらっている。木星まで行ったこともある、希有な腕利きパイロットだ。」

ジョーンズは、二人の紹介を補足して賞賛した。他の者からは「おぉ〜」と感嘆の声が漏れた。

次は、ドレッドヘアともアフロともつかない奇抜な髪型をした大柄な褐色肌の男。

「ダニー・キャノンよ。普段は素材工学の研究をしているけど、今回は、対象物の構成物質を分析したりするのでヨロシクね。」

ダニーは、そのファンキーな容姿とは似ても似つかず、しゃべり方や動作は、完全にオネエ系だった。

「キャノン博士は、見ての通り少々変わり者だが、鉱物や素材科学に関しては世界的な権威だ。宇宙開拓には欠かせない人物でもある。」

「ちょっとぉ。変わり者とはどういうこと?失礼しちゃうわねぇ。」

ジョーンズの補足に、やはりオネエ言葉で文句を言うダニー。周囲から笑い声が漏れた。次に、長身でやせ形、無精髭を生やした、いかにも女を泣かせていそうなプレイボーイタイプの男。

「クリス・カニンガムだ。反物質エネルギーを使ったエンジンの研究と開発を手がけてきた。今回使用する宇宙船は、我々の機関とNAUSAの共同開発。主にエンジン部分の運用・保守を担当させてもらう。」

クリスは、二本指でキザったらしく敬礼をしてみせた。

「カニンガム博士は、欧州連合の研究機関に所属している研究者だが、特別に今回のミッションに参加していただくことになった。反物質エネルギーが、ミッションの成否を左右すると言っても過言ではありません。よろしく頼みますよ。」

クリスとはあまり面識が無かったジョーンズは、少し丁寧な言葉遣いで補足した。

「いえ、こちらこそ。こんなお美しいレディたちとご一緒できるなんて、光栄です。」

そういいながら、クリスはヨーコに流し目でサインを送った。

ヨーコは、「は?」という顔をして露骨に嫌悪感を示したが、近くにいたダニーは、なぜかクリスの方を見て照れていた。

 

そして、残る自己紹介は、ヤマダとソフィの二人だけに…。

(え、なになになに? これ、新人研修でしょう? なんで、世界的な科学者とかベテラン宇宙飛行士とか出てくるの? 私、すごい場違いじゃない? え?え?え?)

ヤマダは、すごい勢いで頭の中が真っ白になっていった。

「えーと、残るは二人だけだな。では、ヤマダ君。」

ジョーンズに指名されて、ヤマダは完全にパニクった。

「は、ひゃ、ひゃい。ヤマダです。こ、この度NAUSAに事務職員として採用されまして…。まだ右も左もわからない…フツツカな新人ですが…、ど…ど…どうか、よろしくお願いします!!」

ヤマダは、深々と頭を下げておじぎした。

 

「は?」

 

その場にいる、全員の頭の上に?マークが浮かんだ。

「・・・・・」

そして、沈黙。

 

「HaHaHa!」

突然クリスが高笑いをし始め、その沈黙をやぶった。

「やだなあ、みなさん。ジョークですよ、ジョーク。この一大事に、ただの事務職員が呼ばれるわけないじゃないですか。きっと、ヤマダさんは、何かすごい技術を持ってるんでしょう。」

「…そうなのか?ヤマダ君。悪いが冗談につき合ってる暇はないんだ。君は、ミシェル・ゴンドリーの強い推薦を受けてこのチームに迎え入れることになった。何か、ミッションに不可欠なスキルを持っていると期待しているのだが…」

ジョーンズは、ヤマダに問いただした。

(そんなこと言われても、わからないよ。私は4日前にいきなり電話で採用を告げられて、研修に来いって言われただけなんだから。だいたい、ミシェル・ゴンドリーって誰だっけ? そういえば、面接官の一人がそんな名前だったような…。)

「え…と。スキル…ですか? 表計算と文書作成は得意です、が…。文字入力も1分間に300文字はイケます。それから、えーと。大学が英語学科だったので、英会話だけは誰にも負けません!!」

ヤマダは、とりあえず、なんか言ってみた。

「HaaaaHaHa!HeeeeeeHaaa!!」

クリスは、ツボにハマって腹を抱えて笑っていたが、ジョーンズは怒りで血管がブチ切れそうになっていた。

「もういいっ!!」

ジョーンズは、腕力に任せてテーブルを思い切り叩きつけた。

「す、すみません…。」

恐怖で立ちすくむヤマダ。

「ヤマダ君、君はここがどういう場なのか、わかっているのかね?」

「あ、はい。新人研修と聞いているのですが…。」

そこは自信を持って答えるヤマダ。

それを聞いて、クリスは再び噴きそうになるのを必死で堪えていた。

「そんなわけあるか!? どこの世界に、こんなエキスパートが勢揃いする新人研修があるんだ?言ってみろ。」

ジョーンズは、怒りが収まらない様子。

「え、でも、私と同じ新人のソフィさんもいるじゃないですか?」

ヤマダは、隣に座っているソフィを指差して言った。

「君はソフィ・ミュラー博士を知らんのか? 若干13歳にして3つの博士号を取得。物理学の権威で、彼女の物理演算能力は、高度な宇宙ミッションに無くてはならないものと言われているのだが?」

「代わりに紹介してもらってすまないな、ジョーンズ大佐。」

戯けた口調のソフィ。

「……え、えぇ〜〜??!」

ヤマダは、一瞬固まり、驚きの悲鳴を上げた。

「もういい。ヤマダ君。君の処遇は後で考える。とりあえず、おとなしく座っていなさい。」

ジョーンズは、ため息まじりに言った。

 

「さて、余計なことに時間を取られてしまったが、ミッションについて、現時点で何か不明な点はあるだろうか?」

ソフィが手を挙げた。

「ミュラー博士。何か?」

「“目標天体”が発見されたのは6日前と聞いているが、現在は小惑星帯の外側を秒速320キロメートルで移動中、ということで間違いないか?」

「そのとおりだ。間違いない。」

「わかっているとは思うが、太陽を中心とする天体の基本的な移動速度は、太陽からの距離に反比例している。一番近い惑星である水星は、毎秒47.8725キロメートル。一番遠い海王星で、毎秒5.4778キロメートルだ。平均だがな。これより速ければ太陽から離れていってしまうし、遅ければその重力に引き寄せられてしまう。小惑星や彗星でも変わらない。彗星の場合は太陽に近づくにつれて加速するが、それでもせいぜい秒速70キロメートル。“目標天体”の速度は非常識だな。NAUSAでは、どのように認識しているのだ?」

ソフィは、正確なデータを用いて、ジョーンズに疑問を呈した。

「ミシェル・ゴンドリーの見解では、太陽系外の天体が何らかの理由で飛び込んで来たか、もしくはそれの影響でオールトの雲にある長周期彗星がはじき飛ばされたのではないか、ということだ。」

完全にミシェルからの受け売りだったが、ジョーンズはソフィの質問に的確に答えた。

「おそらく、前者が正しいわね。“目標天体”表面の構成物質は、XRS(蛍光X線スペクトロメーター)の測定結果から、ほとんどが鉄と予想されるわ。仮に彗星だとしたら揮発性物質を多く含むはずだから、そういう構成にはならない。揮発性物質を使い果たして小惑星になる天体もあるけど、そんなのがオールトの雲にあったら、それこそ非常識というものよ。」

天体の鉱物に詳しいダニーが、自らの見解を述べた。

「そうだ。もし、“目標天体”が彗星だとしたら、太陽に近づくにつれ尾を伸ばすから、もっと早く発見されていたはず。太陽系外からの未知の天体、と考えるのが妥当だろう。」

「つまり、どこから現れたとも知れない、わけのわからん超高速の巨大な鉄塊を、地球にぶつからないようにしろ、というわけか?」

あきれ顔をするソフィ。

「ヒューストンのミシェル・ゴンドリーが具体的なプランを用意しているはずだ。我々は、とにかく宇宙船の搭乗準備を進めよう。」

 

専門用語が飛び交う一連のこの会話は、ヤマダにとってはもちろんチンプンカンプンだった。もはや、英語が得意とか苦手とかのレベルではなかった。

「あのぉ…、私も質問してよろしいでしょうか?」

ヤマダは恐る恐る手を挙げた。

「……なんだね?ヤマダ君。」

ジョーンズは、正直無視したかったが、それも大人げないので話だけでも聞いてやろうか、なんて考えたので、少々間を空けてから言葉を発した。

「えーと、ですね…。」

「いいから、言ってみろ。」

少しイラっとするジョーンズ。

「結局、これって何の“ミッション”なんですか? あと、“目標天体”って何のことでしょう?」

何も聞かされず、いきなり呼ばれてここに連れてこられたのだから、ヤマダが何も知らないのは無理もない話。悪いのは、全てミシェル・ゴンドリーである。

しかし、ジョーンズは、ついにブチ切れてしまった。

「ヤマダァッ!!」

 

 

─遡ること2週間前、ジョンソン宇宙センター(ヒューストン)─

(ああ、やだなあ。緊張するなあ。)

ヤマダは、NAUSAの職員採用面接会場に来ていた。タイトスカートの黒いリクルートスーツに白いブラウス。22世紀になっても、この就活スタイルには、さほど変化がなかった。

「次の方、どうぞ。」

「は、はい!」

係員に呼ばれて、立ち上がるヤマダ。ガチガチに緊張していて、手足の左右の動きが揃ってしまいそうな勢いである。

「失礼します!!」

ヤマダは、言うと同時にドアを開けて面接室に入り、きちんとノブを握り直して丁寧にそのドアを閉めた。

(よかった…。“後ろ手”を使わないで、ちゃんとキレイにドアを閉められた。)

気をつけていた所作を無難にこなすことができて、ほっと胸を撫で下ろすヤマダ。しかし、何か重要なことを忘れていることに気づく。

(ギャァァァ!! ノックするの忘れたーっ。バカ、私のバカーッ!)

若者は、こうした就職活動のマニュアルを妙に気にしてしまう。あまり細かいことは気にする必要がないし、やってしまったことを後悔しても無意味と思うのだが…。

しかし、ヤマダは少しのミスを気にし過ぎてしまい、動揺した態度を露呈してしまっていた。

「ハハハ、元気がいいんですね。ま、掛けてください。」

面接官の一人、眼鏡をかけた若い男は、思わず苦笑いをしていた。

「す、すみません…。失礼します…、じゃなかった。ヤマダと申します。よろしくお願いします!!」

ヤマダは、大げさに頭を下げておじぎをし、用意された椅子に静かに座った。

(日本人は、礼儀正しいなあ…。)

ミシェルは、半分莫迦にしたような顔でクスリと笑った。

「面接官のミシェル・ゴンドリーです。」

面接官はもう一人、白髪まじりの髭のオッサンが座っていたが、彼は自己紹介もせずにふんぞり返っていた。

 

「さて、早速ですが、あなたはどうしてNAUSAに就職しようとお考えになったのですか?」

定番中の定番。一言で言えば、愚問である。

「は、はい。宇宙開拓という将来性と公益性のある事業に惹かれ、自分の可能性を広げる機会を与えてくれると考えたからです!」

そして、ヤマダの答えは愚答。

「でも、ヤマダさんは一般事務職を希望されてるんですよね? 事業に惹かれるとか自分の可能性を広げるとか言うなら、研究職とか宇宙飛行士とかの方がいいんじゃないですか?」

「え…、いや。それはですね…。」

言い得て妙だが予想外の指摘に、ヤマダは言葉につまらせた。

「なんですかぁ?」

ヤマダの困る顔を見て、意地悪く追求するミシェル。

「す、すみません。本当は英語が活かせて誰でもできそうな仕事なら、何でも良かったんです><。今、日本は就職氷河期で、なかなか良い求人が無くて…、あってもすごい競争倍率で…。あ、でも、英語の簿記の資格は持ってるんです。表計算も文書作成もできます。タイピングも1分間に300文字くらいは…。」

あっという間に自滅したヤマダを目の前にして、ミシェルは率直に「ダメな子だなあ…」と思った。本当なら、言葉責めで30分くらいは楽しめると思っていたので、少々ガッカリでもあった。

「まあ、いいや、本題に移ろう。ところで、ヤマダさん。」

「はい!」

ヤマダは、返事だけは元気に返して、姿勢を正した。

「あなたの趣味は『ピタゴラ…』とか書いてありますが、これはいったいどういうものですか?」

「えーと、それはですね。普通にやれば簡単なことを、わざわざ手の込んだカラクリを介して、その無駄さ加減を楽しむためものです。アメリカでは、“ルーブ・ゴールドマン・マシン”と呼ばれていると思いますが…。」

途中まで話しかけて、ヤマダは、ミシェルがすごく冷たい視線を投げかけてきていることに気づいた。

「で…、それはいったい何が面白いの?」

獲物を狙うヘビのような執念深い目で、ミシェルはヤマダを凝視していた。

「へ…?」

ヤマダは、緊張からとは違う、嫌な汗が背中をつたうのを感じた。

「あ、いやいや。ごめんなさい。そうじゃありませんでした。言葉責めは、また後で」

ミシェルの顔は途端に笑顔に戻り、紳士的な態度になった。

「はあ…(言葉責め??)。」

ヤマダは、なんだか状況がよくわからなくなって、キョトンとしていた。

「いや、実はね。ヤマダさんが動画サイトに投稿した、その『ピタゴラ…』というのを見つけたんだけど、なかなか興味深い内容だと思ってさ。」

ミシェルは、備え付けの大型モニタに、その動画を映してみせた。

「ど、ど、どこからこの動画を…?? し、調べたんですか?!」

「それは当然だよ。これから雇うかも知れない人のことは、可能な限り調べるさ。特に、うちは他国からのスパイが潜入してきたりもするからね。」

「え、じゃあ、じゃあ…。」

「あぁ、アニメの登場人物に仮装して踊ってる動画とかは、興味ないから気にしなくていい。個人の性癖は自由だと思うし。」

「いや、ちがうんです、ちがうんです。あれは友だちに誘われて仕方なく…」

ヤマダは、両手をブンブン振り回し、耳まで真っ赤にしながら全力否定した。

(反応良いなあ…)

ミシェルは、またソッチの方にスイッチが入りそうになったが、我慢した。

「あー、オホン。私としては、事務よりも研究や技術開発の方が向いてると思うんだよね、ヤマダさんの場合。こういう『ピタゴラ…』みたいな発想は、宇宙開発に結構重要なんだ。」

「ムリムリムリ、私なんて全然ダメですよ。バカだし文系だから、物理とか全然できないし、数学なんてD-取っちゃったこともあるんですから。」

ヤマダは、思い切り首を横に振った。

「ハハハハ、君は面白いね。採用面接で自分のことを『バカ』とか『自分なんて』とか言い出す人は初めて見たよ。」

 

 

─宇宙ステーション「ニール」内、NAUSAのロッカールーム─

「はぁ…。」

ワンピースを脱いで下着姿になったヤマダは、ロッカーの扉に頭をもたげ、深いため息をついた。

「だいたい、あんなに失敗した面接で、採用されるわけないじゃない。何かの間違いなんだわ。それとも、ドッキリ企画? でも、私芸能人じゃないし…。」

「なぁに? 元気無いじゃない、ヤマダちゃん。」

後ろから、特長あるオネエ言葉が聞こえた。

「ダニーさん…(でしたっけ?)。」

ヤマダは、たいして後ろを振り返りもせずに答えた。

「ジョーンズちゃんはあんなこと言ってるけど、あなたミシェルの推薦受けてきてるんでしょ? ミシェルとはハイスクール以来の腐れ縁だけど、アイツのすることには必ず意味があるわ。きっと、ヤマダちゃんも何か期待されてるのよ。」

ダニーは、後ろからさりげなくヤマダの肩を抱き支えた。

「そうでしょうか…。誰かと間違えてるのかも…。」

目に涙を浮かべるヤマダ。

「それはないわ。ミシェルは人事部門じゃないもの。興味のある人がいないと、採用面接なんて顔出さない。彼はミッションエキスパートを欲しがってるのよ。」

「ダニーさん…。」

ヤマダは、涙ぐみながら肩に添えられたダニーの手を握りしめた。毛むくじゃらでゴツゴツしている手…。

「?!…って、何やってんですか??! ここ女性用ロッカーですよ!」

ヤマダは、ようやく自分の着替え中に毛むくじゃらの大男がいることの異常さに気づき、大声を上げた。

「なぁに?大きな声出しちゃって。どうかしたの? ヤマダちゃん。」

タオルを首にかけてくつろいだ感じのヨーコが、ロッカールームに入ってきて言った。

「あ、フィンチャー少佐。ダニーさんが、ダニーさんが…。」

真っ裸のダニーを指差し、あたふたとヨーコに状況を訴えた。

「“ヨーコ”でいいわよ。ダニーは『真性』だからねぇ。女の裸とか興味ないらしいから、気にしなくていいわよ。モノも反応してないでしょ。」

そう言って、ヨーコはおかまいなしに服を脱ぎ始めた。

「ダニーさんが気にしなくたって、私が気にしますよっ! …え、“モノ”?」

ヤマダが恐る恐るダニーの方に目を向けると、見慣れない大きなモノがデロンとぶら下がっていた。

「ぎゃあぁぁーっ!」

あまりの大声に、ダニーは、思わず耳を塞いだ。

「もう、わかったわよ。ヤマダちゃんったらウブねえ。特別に前は隠してあげるから、これでいいでしょ?」

ダニーは、申し訳程度にタオルを巻いて局部を隠したが、思い切り下からこぼれていたし、シルエットはまる見えだった。

しかし、ヤマダはすでに正常な判断力を失っていたので、茹でダコのように耳まで真っ赤にしながら、「ああ、はい。それでお願いします…」ということになった。

「まったく、ヤマダはうるさいなぁ。ボクなんて、見るのも見られるのも全然平気だよ。」

今度は、ソフィが、アヒルのオモチャが入った洗面器を持ってやってきた。

「そ・れ・は、アンタがお子ちゃまだからよ。」

ダニーはソフィの頭をポンポン、と叩いた。

「うるさいなぁ、ダニーは。ていうか、大人だと平気じゃないの、わかっててやってるんなら犯罪だよ、それ。」ダニーの手を振り払うソフィ。

「いいのよ。ダニーは、男の中に放り込んだ方が危険なんだから。女用のロッカーを使うのは、ここでの暗黙の了解。」

ヨーコは、それがさも当たり前のことのように言った。

 

 

ジョーンズは、怒り心頭状態で、自分の執務室に戻ってきていた。

「イワズシミ! ミシェル・ゴンドリーにホットラインをつなげ。音声だけでいい。」

「イワシミズです。はい、ただいま!」

イワシミズは、携帯端末を操作し、ヒューストンに回線をつないだ。

《はい、ミシェル・ゴンドリー。》

「ミシェルか。おれだジョーンズだ。」

《あ、大佐?なんすか?》

「“なんすか”じゃねえ。いったいなんなんだ?あのヤマダって女は。」

《ああ、到着しましたか。話すと長くなるので、とりあえずソフィのサポートにつけといてもらえますか?》

「何だと?ソフィには一般事務のサポートが必要だっていうのか?しかも、新米の。」

《いや、ヤマダは一般事務じゃありませんよ。ミッションエキスパートです。ただ、説明してる暇がなかったんで、本人も事情を飲み込めてないだけです。一通り教えてやってくださいよ。》

「表計算と文書作成と文字入力が得意だって言ってたぞ。あと、英会話に自信がある、とか。」

《ハッハッハ、相変わらず面白いなあ。》

「笑い事じゃねぇ!! あんなわけのわからんやつを、ミッションに連れて行けるか!」

《えー、定員は全然余裕あるでしょう? 乗せとけば必ず役に立ちますから、お願いしますよ。》

「ふざけんな。そんな話は飲めん。」

《ふざけてませんよ。あのですねぇ。あまり言いたくありませんが、今回のミッション・ディレクターはワ・タ・シです。大統領勅命ですから、大佐に拒否権は無いんです。》

「くっ。」

《じゃ、よろしくお願いしまーす。ブッ、ツーツーツー。》

「くそっ、切りやがった。」

ジョーンズは、受話器を床に叩きつけた。

「モノに当たるのはやめてくださいよ、大佐。支給品の再調達って、結構手間なんですから。」イワシミズは、受話器を拾い上げ、故障が無いか確認した。

「おい、イミシワズ。あのヤマダとかいう女に制服を支給してやれ。あんなチャラチャラした格好で歩き廻られたら、かなわん。」

「イ・ワ・シ・ミ・ズ、です。」

 

 

そのころ、ヤマダとソフィ、ダニー、ヨーコの4人は、大浴場で風呂に浸かっていた。

「うわぁ、すご〜い!!」

ヤマダは入浴そっちのけで大展望ガラスに顔を張りつけて興奮していた。

大浴場の壁面は総ガラス張りになっていて、外の光景が一望できるようになっている。宇宙ステーションの外の光景とは、正に宇宙。そして、そのど真ん中に青い地球が映り込んでいた。

「宇宙広しといえども、これほど絶景なお風呂は無いわねぇ。」

缶ビールを片手にお湯に浸かり、満面の笑みを浮かべるヨーコ。

「まったく…、ニールに滞在して、楽しみといえばこれくらいのものよね。」

同じく缶ビールを飲みながらのダニー。

「でも、宇宙空間って水が貴重だって聞いてたから、こんなに大きなお風呂があるのは驚きです。」

外の景色を楽しむのもそこそこに、湯船に浸かりつつ、ヤマダが言った。

「水が貴重だからこそ、その水をいかに効率良くリサイクルできるかが重要になる。宇宙ステーションというのは、実験場でもあるからな。この大浴場も、その一環。」

ソフィは、アヒルのオモチャを水に浮かべて遊びながら、もっともらしい理屈を述べた。

「というのが建前。NAUSAの特権よねぇ。ところで、ヤマダちゃん。」

ヨーコは、2本目のビールを開けながら、ヤマダに話しかけた。

「はい、なんでしょう?」

「あなた、何も聞かされずにここに来たって本当なの?」

「そうなんですよー。2週間前に面接を受けて、4日前に電話で採用通知があって、新人研修があるからニールに行けって…。」

「ミシェルも相変わらず無茶苦茶するわねぇ…。そりゃあ、ヤマダちゃんもパニクるわよ。理由くらいちゃんと説明してあげればいいのに。」

ダニーも2本目のビールに手をつけながら言った。

「いや、このミッションはトップシークレットだ。守秘契約も結んでいないヤマダに事情を示さなかったのは、妥当な判断だよ。まあ、雇用契約も結んでない人間を宇宙に上げるのは、それ以前に不当だけど。」

アヒルのオモチャを指先で弄りながら話すソフィ。

「あのー、それなんですけど…。どういうお話なんでしょうか?」

ヤマダは小さく手を挙げて質問した。

ソフィ、ダニー、ヨーコの3人は、顔を見合わせた。

「まあ、簡単に言えば、だな…。彗星とも小惑星ともつかない4キロメートル大の鉄の塊が、秒速320キロメートルという非常識なスピードで地球に衝突しそうなのだ。」

一般人に聞かせるには、あまりにショッキングな内容なので、ソフィは伏し目がちになって話した。

ダニーとヨーコも、続ける言葉が見つからず、黙り込んでしまった。

「あの…、それで、地球に衝突すると、どうなってしまうんですか?」

「え?」

3人は、ヤマダの意外なリアクションに驚いた。

「…えーっと、“K-T境界”を聞いたことは?」

基本的なことから説明しようと考えて、ソフィは恐竜絶滅の原因になったとされる小惑星激突の話を引き合いに出そうとした。

「サグラダ・ファミリア(教会)なら、卒業旅行で行きました!」

元気よく答えるヤマダ。

(そこからかー。)3人はがっくりと肩を落とした。

「…つまりだな。6500万年前に、直径10キロメートルほどの小惑星がユカタン半島に墜落したんだけど、その衝撃で恐竜を始めとした多くの生物が絶滅した。今回接近中の天体はそれよりも小さいが、質量は同等かそれ以上、速度に至っては30倍近い。衝突する場所や角度にもよるけど、下手をすれば、人類どころか地球上の全生物が死滅する恐れがあるんだ。」

ソフィは、わかりやすく事態を説明した。

ヤマダは、あまりに突拍子もない話を聞いて、一瞬動きが止まった。

「…またまたあ。いくら私だって、そんな冗談には騙されませんよ。だいたい、なんでそんな一大事に私が呼ばれるんですか?」

「…そこなのよねえ。どうして、ミシェルは英語が話せること以外、何の取り柄も無いヤマダちゃんを送りこんできたのかしら。しかも、こんな強引な方法で…。」

腕を組んで考え込むヨーコ。

「何の取り柄も無いって、そんな…。間違ってはないけど、ひどいです。」

すねるヤマダ。

 

「でも、策はあるの?ソフィ。目標天体の規模も速さも想定外よ。これだけ地球に接近していると、ソーラーセイルも重力トラクターも効果が無いだろうし。おまけに、構成物質は、鉄かそれに近い堅牢な金属。破壊することは難しいと言わざるを得ないわ。」

「まあ、考えていなくはないよ。」

心配するダニーをよそに、自信の顔を見せるソフィ。

「特殊なレーザーパルスを目標に照射して、プラズマを発生させる方法だ。ローレンツ力を生み出し、効率良く軌道を変えられる。対象物の表層物質そのものを利用したイオンエンジンみたいなものだな。正直、ソーラーセイルや重力トラクターは実用性が疑問なんだけど、この方法なら確実。」

「なるほど、それなら、物体が多少回転してても軌道修正が可能ね。」

「ただし、進行方向と回転軸の角度があまりに小さい場合は話が違ってくる。前か後ろにしか推せないんじゃ進路はそれほど変えられないからなあ。その時は、核爆発でも起こして強引に進路を変えるか…。運任せの気に入らない方法だけど。」

そう言うと、ソフィは頭の後ろに手を組み、浴槽の縁にもたげた。

「あとは、どうやって秒速320キロメートルの天体にランデブーするか、ね。」

ダニーとソフィは、ビール片手に上機嫌なヨーコに目をやった。

「心配ご無用。宇宙飛行のスピードってのは相対的なものだからね。その速度まで到達するは時間がかかるけど、ランデブー自体はたいして難しくないわ。着陸しろっていうのなら、話は別だけど。」

「つまり、エンジン次第ってわけね。愛しのクリス様に期待だわ♪」

目をうっとりさせてのたまうダニー。

「あら、ダニー。あんな変態が好みなの?」

意外そうな顔で問いかけるヨーコ。

「あの肉食系の野暮さがたまらないのよ〜。無精髭もステキでしょ?ね、ソフィもそう思わない?」

「ボクは子どもだからわからん。」

「あの変態、会議中から私の方、チラチラ、チラチラ見てんのよ。気持っちゃぁるいたらありゃしない。さっきも、いきなりメアド聞いてきたりして。」

「あぁん。もったいない」

ヨーコの話を聞いて、身をくねらせながら羨ましがるダニー。

「そんなに言うなら、あんたに譲るわ。大切にしてやんなさい。っていうか、ヤマダちゃん引いてるじゃない。ごめんねー、ヤマダちゃん。」

ヤマダは、そんな話はそっちのけで、何か決心したような顔をして一点を見つめていた。

「いえ、何だかちょっと興味が湧いてきました。」

「へ?」意外な答えにポカンとするヨーコ。

「レーザーで隕石の方向を変えるとか、宇宙船をランデブーさせるとか、なんだか“ピタゴラ…”みたいで面白そうです。それに、私たちがやらないと、地球がめちゃくちゃになっちゃうんですよね!」

ヤマダは湯船の中で立ち上がり、拳を握りしめて決意のポーズを見せた。

(ああ、クリスじゃなくってそっちの方ね…。)

「ていうか、ヤマダちゃん。“隕石”って、地上に落ちた天体のことだから。縁起でもないこと言わないで。」

ヨーコは、冷めた態度でヤマダにつっこんだ。

「す、すみません…。」

ヤマダは、しゅん、となって再び湯船に浸かり、顔の半分まで湯に沈めた。ぶくぶく…。

「それよりも、“ピタゴラ…”ってなあに?」

ダニーは、初めて聞く不思議な名称に興味を示した。

「ルーブ・ゴールドマン・マシンのことだよ。カラクリの。日本ではピタゴラスの定理にかけて“ピタゴラ…”と言うらしい。」

ソフィは、大きく伸びをしながら、テキトーな感じで答えた。

「プッ、ピタゴラスの定理と何の関係があるの??それww。」

ダニーは、なんかツボにハマって笑った。

「知らないよ。ダジャレとかじゃないの?」

(ん、待てよ。「ピタゴラ…」+「ヤマダ」?)

ソフィは何かを思い出し、思わずニヤリと笑った。

「そうか! ミシェルのやつめ…。おもしろい拾い物をしてきたなぁ。」

(うわ…、ソフィが笑うの初めて見た。キモっ!)

ダニーとヨーコは、見慣れないソフィの笑顔に、はからずも身の毛がよだった。

風呂から上がり、4人はロッカールームで着替えたり髪を乾かしたりしていた。

「でもさぁ。せっかくやる気を出してるところで悪いんだけど、やっぱり、ヤマダちゃんはついてこない方がいいと思うよ。」

髪をブラッシングしながら、ヤマダに話しかけるヨーコ。

「え…、どうしてですか?」

「宇宙飛行士のミッションっていうのはね、どんな簡単に見えるものでも、危険が伴うものなのよ。私たちは、みんな命がけでこの仕事をしてるわ。だから、ミッション前には、ここでこうして地球を見ながらお風呂に入るの。必ず生きて戻ってきて、またこの地球を見るんだ、ってね。あなたに、そういう覚悟はあるの?」

「私は…。」

ヤマダは、うつむいて口ごもった。

「だいたい、ついてきても、あなたにできることは何もないわ。足手まといにはなりたくないでしょう? もちろん、極秘情報を知ってしまった以上、ことが終わるまでは軟禁されると思うけど、地上よりもここにいた方が安全だしね。」

ヨーコは、まくしたてるようにヤマダを説得しようとした。

「ボクは、ヤマダを連れて行くべきだと思うよ。ミッションに必要な人材だから。」

素っ裸で牛乳を飲みつつ、二人の後ろから近づいてきたソフィが言った。

「え、新規採用の一般事務が…?」

後ろを振り返り、怪訝そうな顔をソフィに向けるヨーコ。

「そうでなくて…。そのうちわかるよ。」

ヨーコは、ソフィが何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、ヤマダ本人も同じくらいわかっていなかった。

 

 

─同じ頃。男湯─

展望窓に映る地球を背景に、クリスとアレックスが、二人で湯に浸かっていた。

「アレックス君…だっけ?」

湯船の中で、アレックスに躙り寄り、耳元で囁くクリス。

「あ、はい。」

「君、フィンチャー少佐のことはどう思ってるの?」

「少佐は……、えーと、いい上司ですよ。」

「それだけ? 何か今、変な間があったけど。」

「ええ、まあ。本当にいい上司かというと、ちょっと微妙でして。これ、オフレコで…」

「彼女、いいよなあ。端正な顔立ちに艶やかな黒髪。闘う女の凛々しい美しさ。」

「あのぉ。部下の僕が言うのもなんですけど、少佐はやめといた方がいいですよ。」

「何?やはり君は少佐のことが…。オレに奪われるのを恐れてそんなことを言うのか!?」

「あ、いや、そういうんじゃなくてですね…。少佐はちょっと性格に問題が…。」

「君の気持ちはわかった。同じ女性に惚れこむ者同士、正々堂々と闘おう。」

クリスは、感極まってアレックスをハグした。

「いやいやいや。人の話、ちゃんと聞いてくださいよぉーーーっ!!」

 

(2011.2.10修正)

プロローグ

今から約6500万年前、直径約10キロメートルの隕石が地球に衝突し、100キロメートル以上の巨大なクレーターを作った。隕石は、衝突のエネルギーによりとてつもない高温を発して地上を焼きつくし、津波は全球を覆ったという。そして、恐竜を始めとした全生物種の70%が絶滅したと言われる。

今同じことが起これば、人類は確実に滅びるだろう。

それは、いつか必ず起こる…。

 

─西暦21xx年─

地球温暖化は何とか解決できそうだったが、人口増加による資源・食糧問題が深刻化する中、人類は、新たな生存場所を求め、急速に宇宙の開拓を進めていた。

宇宙ステーション「ニール」。人類をして初めて月面の土を踏んだ、伝説の宇宙飛行士の名を冠する宇宙開拓の重要拠点。

「ニール」は、メキシコ湾上空3万6000キロメートルの静止軌道上を公転していたが、ユニークなのはそのアクセス方法であった。

「ニール」の中心には直径わずか数センチメートルの極細なナノチューブケーブルが通されており、それは遥か真下の海に浮かぶ巨大な浮き島へとつながっていた。そして、地上から「ニール」までは、そのケーブル伝いにリフター原理を用いた昇降機「カーゴ」で移動するのだ。

いわゆる、「軌道(宇宙)エレベーター」である。

 

「ニール」は、月面や火星開拓の中継基地、あるいは小惑星探査機の発射ポイントなどに使われていた。軌道エレベーターは、一度に大量の物資を宇宙に運ぶことを可能にし、それまで主流だった燃料ロケットによる可載容量(ペイロード)の問題を解決していた。

一方で、観光スポットとして、「ニール」には旅行者も多く訪れていた。そのため、政府関係者や民間人を含め、常時2万人前後が滞在するちょっとした宇宙都市でもあった。

 

地上側のターミナルである浮き島には、空港やホテル、商業施設などが整備され、人口も集中。さながら海上都市のように発展していた。浮き島の中心、すなわちケーブルの設置点には、それを外的な破壊や衝撃から守るために、頑強かつ巨大なタワーが建てられていた。その高さは、なんと10キロメートル。人工建造物で最大なのはもちろん、世界最高峰のチョモランマよりも1キロメートル以上高いというシロモノだった。

もっとも、わずか数センチメートルの太さとはいえ、ナノチューブケーブルの頑丈さは折り紙付きである。最新の耐熱処理がなされたものは、たとえ至近距離で核爆発が起っても切断することはない。この巨大な防護壁は、ケーブルそのものではなく、ハリケーンや竜巻などによって生じる振幅から、「カーゴ」とその乗客を守るのが主な目的だった。

 

その浮き島には、ある若い日本人女性の姿があった。

燦々と降り注ぐ太陽の下、つばの広い真っ白な帽子に、水色のワンピース。足下にはひまわりの飾りがついたかわいいサンダル。背中には、その体格や服装には似つかわしくない大きなバックパックを背負っていた。おおよそ、これから宇宙に行こうとする格好ではなかったが、かと言って地上でもどこに行くつもりなのか理解に苦しむ姿だった。

女の名は「ヤマダ」。日本の大学を卒業した後、アメリカに留学し、この度めでたく 北米連合宇宙局(NAUSA、ノーサ)に就職が決まった。弱冠23歳の社会人1年生である。

得意の語学力を生かしたくて、なんとか一般事務職に潜り込んだ彼女。これから、新人研修の一環で、宇宙ステーション「ニール」に短期滞在することになっていた。

 

「それにしても、いきなり『採用決定。明後日から研修に来てくれ』なんて…。政府機関は横暴だって聞いてたけど、本当だわ。でも、事務職なのに宇宙に行かせてもらえるなんて滅多に無い機会。みんなに自慢してやるんだから!」

そう、ヤマダは一昨日の深夜、ちょうど眠りに就いた辺りで電話の音に起こされ、口頭で職員採用の報せを受けたのだ。最初はイタズラ電話かと思ったが、翌日NAUSAに確認したところ、事実であることがわかった。

いくら、政府機関が横暴と言っても、あり得ない非常識さなのだが、お人好しなヤマダは、この事態にそれほど疑問を抱いていなかった。

 

ヤマダは、巨大なターミナルタワーの真下までやってくると、背骨が折れるのではないかというくらい首をもたげ、それを見上げた。

「大っきいなあ…。まさに、天をつくよな高さ。あのてっぺんからボールを転がしたら、どうなるのかしら?」

ヤマダは、ちょっと変な女だった。“変”、というか、人と違う嗜好を持っていて、物が落ちるとか転がるとか、ぶつかるとか、その結果どういう動きをするかいうことに、異様なまでの興味と感心を抱いているのだ。

それが高じて始めた趣味が、ループ・ゴールドバーグ・マシンの制作。普通にやれば簡単なことを、わざわざ手の込んだカラクリを介して行うシステム。日本でいうところの「ピタゴラ…」ナントカいうアレだ。彼女の青春とは、まさに「ピタゴラ…」にかけた青春であり、大学でも友人とともに、いくつもの「ピタゴラ…」を作成した。そして、それを映像に納め、インターネットの動画サイトに投稿するなどしていた。

 

ヤマダは、田舎者丸出しの挙動で、タワーの中に恐る恐る足を踏み入れた。タワー内は、ひんやりしていたが、それはエアコンの涼しさというよりは、遥か上空の宇宙から伝わってくるような、不思議な冷気だった。

そして、浮き島全体の活気に比べると、人もまばらで閑散とした感じ。これは、カーゴの発着本数が2日で1往復とまだまだ少ないため、エレベーター利用者のほとんどが、政府関係者か限られた富裕層だけだからだ。

ワンピースにバックパック、それにサンダルというカジュアルな格好は、端から見ると完全に浮いていたが、あまりに人が少ないので、ヤマダ本人にその自覚は生じなかった。

 

入り口の正面には巨大なエスカレーターが設置されていて、それを登る以外選択肢が無さそうだったので、ヤマダは迷わずそこへ進んだ。ふと見上げると、カーゴを受け止めるためであろう巨大な装置(ショックアブソーバー)の隙間から、吹き抜けが、天井も見えないくらい遥か先まで続いていた。大きなバックパックに背中を引かれながら、ヤマダは大きくエビ反りして、その吹き抜けを覗き込んだ。

「おぉーっ!あのてっぺんから…(以下略)。」

 

 

─そのころ。ヒューストンにあるジョンソン宇宙センター─

NAUSAの副長官室には、一人の青年が呼び出されていた。

オールバックの金髪に端正な顔立ち。知的なまなざしと、それを演出するかのようにスマートな眼鏡。

「少々進捗が遅れているのではないかね?」

「いえ、予定通りです。明後日に全クルーが揃い次第、ミッションを開始します。」

副長官らしき男の問いかけに、青年は答えた。

青年の名はミシェル・ゴンドリー。若いが、その頭脳と状況判断力を見込まれ、NAUSAの重要計画で、何度もミッション・ディレクターを努めてきた男である。

その彼が、今回、人類の命運をかけたミッションを引き受けることになった。

「あと2週間あまりしかないんだぞ。そんな呑気なことを言っていられるのか?!」

副長官は、少々感情が高ぶっていた。

「早ければ良いというもではありません。目標は、まだ小惑星帯の向こう側なんですから、今動くのは無意味です。」

「かと言って、何もせずに指をくわえているというのは…。」

「何もしていないわけではありませんよ。宇宙船の出航準備は順調ですし、探査機からのデータ収集も進めています。」

「わかっているとは思うが、ミシェル君。今回のミッションは、人類の命運がかかっているんだ。失敗した場合は、責任を取ってもらうよ。」

「その時は、仰せのままに。」

人類の命運をかけたミッションが失敗したら、責任もクソもない。ミシェルに対する副長官の威圧は、愚の骨頂だった。

 

 

「あのー。」

ヤマダはすっかり行き先がわからなくなり、インフォメーションセンターに駆け込んでいた。

「展望台のお客様ですか?でしたら、一度外に出ていただいて…。」

窓口のコンシェルジュは、ヤマダのラフな格好を見て、完全にバックパッカーの観光客と勘違いし、丁重に門前払いを決め込んだ。

「いえ、ちがうんです。私、NAUSAの新人職員でヤマダという者なのですが…。研修でニールに行くよう言われてるんですけど…。」

「え、あ…。失礼しました。少々お待ちください。」

コンシェルジュは、端末を操作して予約者リストを調べた。

「あ、ありました。NAUSAのヤマダ様ですね。メディカルチェックがありますので、3番ゲートからお入りください。」

「ありがとうございます…。あ痛っ。」

ヤマダは、コンシェルジュに深々と頭を下げてお礼を言ったが、勢い余ってずり落ちてきたバックパックに後頭部をぶつけた。

 

軌道エレベーターを上るためには、それなりに厳密なメディカルチェックが必要である。基礎疾患などの発作が起った際、カーゴ内や宇宙ステーションで治療ができない場合を想定しているが、何よりも伝染性のある病原菌を持ち込まないための対策だった。

ちなみに、ヤマダが案内された3番ゲートは、NAUSA専用のゲートだった。このゲートを使用する者は、NAUSAの関係者だけである。

しかし、 周りを見渡しても、 新人研修というのに、自分以外に新人らしき者がいない。ヤマダは少々違和感を感じていた。ヤマダ以外は、ベテランパイロット風だったり、科学者風だったり。皆20代後半以上の年齢で、しかも、それなりに貫禄があった。

「変ねぇ。新人って、私しかいないのかしら? 一人で研修ってやだなあ。」

疑問と不安を抱きつつも、ヤマダはそのまま更衣室に向かった。

メディカルチェックは、丸1日かけて行われ、今でいう人間ドッグのような内容は、一通り行われる。そのため、下着以外の衣類は全部脱いで、検査衣に着替えなくてはならない。ヤマダは、ワンピースをぱっぱと脱ぎ捨て、やはりワンピースのようになっている検査衣に着替えた。

(やっぱり、こういうときってワンピースが楽よねえ。)

すると、後ろから誰かが話しかけてきた。

「後ろ前、逆だよ。」

中学生くらいの、幼さが残った少女だった。

「え、うそ。あら…。」

ヤマダは、前に来るはずの首のスリットが後ろに行ってしまっていることに気づき、あわてて袖だけ引き抜いて、検査衣をくるりと回した。

「やぁねぇ、私ったら。教えてくれてありがとう。」

ヤマダは舌をペロっと出して、自分の頭を小突くという、古典的なリアクションをしてみせた。

「どういたしまして。」

素っ気ない反応の少女。

ヤマダは、どうしてこんな少女がNAUSAの専用ゲート内にいるのか、不思議だった。誰かの家族だろうか? いや、ひょっとしたら、幼く見えるけど、実は自分と同い年くらいで、研修を受ける新人仲間なのかも?

「あの、ヤマダって言います。あなたも新人研修…?」

ヤマダは、恐る恐る聞いてみた。

「研修? ……まあ、そんなところだね。私はソフィ。」

妙な間が空いたが、やはりこの少女も新人仲間らしい。ヤマダはひとまず安堵した。

「新人同士、研修がんばろうね!ソフィさん」

満面の笑顔で握手を求めるヤマダ。

「ん…、ああ。」

ソフィは、思わず目を逸らしながら、握手に答えた。

 

(2011.2.10修正)