今から約6500万年前、直径約10キロメートルの隕石が地球に衝突し、100キロメートル以上の巨大なクレーターを作った。隕石は、衝突のエネルギーによりとてつもない高温を発して地上を焼きつくし、津波は全球を覆ったという。そして、恐竜を始めとした全生物種の70%が絶滅したと言われる。
今同じことが起これば、人類は確実に滅びるだろう。
それは、いつか必ず起こる…。
─西暦21xx年─
地球温暖化は何とか解決できそうだったが、人口増加による資源・食糧問題が深刻化する中、人類は、新たな生存場所を求め、急速に宇宙の開拓を進めていた。
宇宙ステーション「ニール」。人類をして初めて月面の土を踏んだ、伝説の宇宙飛行士の名を冠する宇宙開拓の重要拠点。
「ニール」は、メキシコ湾上空3万6000キロメートルの静止軌道上を公転していたが、ユニークなのはそのアクセス方法であった。
「ニール」の中心には直径わずか数センチメートルの極細なナノチューブケーブルが通されており、それは遥か真下の海に浮かぶ巨大な浮き島へとつながっていた。そして、地上から「ニール」までは、そのケーブル伝いにリフター原理を用いた昇降機「カーゴ」で移動するのだ。
いわゆる、「軌道(宇宙)エレベーター」である。
「ニール」は、月面や火星開拓の中継基地、あるいは小惑星探査機の発射ポイントなどに使われていた。軌道エレベーターは、一度に大量の物資を宇宙に運ぶことを可能にし、それまで主流だった燃料ロケットによる可載容量(ペイロード)の問題を解決していた。
一方で、観光スポットとして、「ニール」には旅行者も多く訪れていた。そのため、政府関係者や民間人を含め、常時2万人前後が滞在するちょっとした宇宙都市でもあった。
地上側のターミナルである浮き島には、空港やホテル、商業施設などが整備され、人口も集中。さながら海上都市のように発展していた。浮き島の中心、すなわちケーブルの設置点には、それを外的な破壊や衝撃から守るために、頑強かつ巨大なタワーが建てられていた。その高さは、なんと10キロメートル。人工建造物で最大なのはもちろん、世界最高峰のチョモランマよりも1キロメートル以上高いというシロモノだった。
もっとも、わずか数センチメートルの太さとはいえ、ナノチューブケーブルの頑丈さは折り紙付きである。最新の耐熱処理がなされたものは、たとえ至近距離で核爆発が起っても切断することはない。この巨大な防護壁は、ケーブルそのものではなく、ハリケーンや竜巻などによって生じる振幅から、「カーゴ」とその乗客を守るのが主な目的だった。
その浮き島には、ある若い日本人女性の姿があった。
燦々と降り注ぐ太陽の下、つばの広い真っ白な帽子に、水色のワンピース。足下にはひまわりの飾りがついたかわいいサンダル。背中には、その体格や服装には似つかわしくない大きなバックパックを背負っていた。おおよそ、これから宇宙に行こうとする格好ではなかったが、かと言って地上でもどこに行くつもりなのか理解に苦しむ姿だった。
女の名は「ヤマダ」。日本の大学を卒業した後、アメリカに留学し、この度めでたく 北米連合宇宙局(NAUSA、ノーサ)に就職が決まった。弱冠23歳の社会人1年生である。
得意の語学力を生かしたくて、なんとか一般事務職に潜り込んだ彼女。これから、新人研修の一環で、宇宙ステーション「ニール」に短期滞在することになっていた。
「それにしても、いきなり『採用決定。明後日から研修に来てくれ』なんて…。政府機関は横暴だって聞いてたけど、本当だわ。でも、事務職なのに宇宙に行かせてもらえるなんて滅多に無い機会。みんなに自慢してやるんだから!」
そう、ヤマダは一昨日の深夜、ちょうど眠りに就いた辺りで電話の音に起こされ、口頭で職員採用の報せを受けたのだ。最初はイタズラ電話かと思ったが、翌日NAUSAに確認したところ、事実であることがわかった。
いくら、政府機関が横暴と言っても、あり得ない非常識さなのだが、お人好しなヤマダは、この事態にそれほど疑問を抱いていなかった。
ヤマダは、巨大なターミナルタワーの真下までやってくると、背骨が折れるのではないかというくらい首をもたげ、それを見上げた。
「大っきいなあ…。まさに、天をつくよな高さ。あのてっぺんからボールを転がしたら、どうなるのかしら?」
ヤマダは、ちょっと変な女だった。“変”、というか、人と違う嗜好を持っていて、物が落ちるとか転がるとか、ぶつかるとか、その結果どういう動きをするかいうことに、異様なまでの興味と感心を抱いているのだ。
それが高じて始めた趣味が、ループ・ゴールドバーグ・マシンの制作。普通にやれば簡単なことを、わざわざ手の込んだカラクリを介して行うシステム。日本でいうところの「ピタゴラ…」ナントカいうアレだ。彼女の青春とは、まさに「ピタゴラ…」にかけた青春であり、大学でも友人とともに、いくつもの「ピタゴラ…」を作成した。そして、それを映像に納め、インターネットの動画サイトに投稿するなどしていた。
ヤマダは、田舎者丸出しの挙動で、タワーの中に恐る恐る足を踏み入れた。タワー内は、ひんやりしていたが、それはエアコンの涼しさというよりは、遥か上空の宇宙から伝わってくるような、不思議な冷気だった。
そして、浮き島全体の活気に比べると、人もまばらで閑散とした感じ。これは、カーゴの発着本数が2日で1往復とまだまだ少ないため、エレベーター利用者のほとんどが、政府関係者か限られた富裕層だけだからだ。
ワンピースにバックパック、それにサンダルというカジュアルな格好は、端から見ると完全に浮いていたが、あまりに人が少ないので、ヤマダ本人にその自覚は生じなかった。
入り口の正面には巨大なエスカレーターが設置されていて、それを登る以外選択肢が無さそうだったので、ヤマダは迷わずそこへ進んだ。ふと見上げると、カーゴを受け止めるためであろう巨大な装置(ショックアブソーバー)の隙間から、吹き抜けが、天井も見えないくらい遥か先まで続いていた。大きなバックパックに背中を引かれながら、ヤマダは大きくエビ反りして、その吹き抜けを覗き込んだ。
「おぉーっ!あのてっぺんから…(以下略)。」
†
─そのころ。ヒューストンにあるジョンソン宇宙センター─
NAUSAの副長官室には、一人の青年が呼び出されていた。
オールバックの金髪に端正な顔立ち。知的なまなざしと、それを演出するかのようにスマートな眼鏡。
「少々進捗が遅れているのではないかね?」
「いえ、予定通りです。明後日に全クルーが揃い次第、ミッションを開始します。」
副長官らしき男の問いかけに、青年は答えた。
青年の名はミシェル・ゴンドリー。若いが、その頭脳と状況判断力を見込まれ、NAUSAの重要計画で、何度もミッション・ディレクターを努めてきた男である。
その彼が、今回、人類の命運をかけたミッションを引き受けることになった。
「あと2週間あまりしかないんだぞ。そんな呑気なことを言っていられるのか?!」
副長官は、少々感情が高ぶっていた。
「早ければ良いというもではありません。目標は、まだ小惑星帯の向こう側なんですから、今動くのは無意味です。」
「かと言って、何もせずに指をくわえているというのは…。」
「何もしていないわけではありませんよ。宇宙船の出航準備は順調ですし、探査機からのデータ収集も進めています。」
「わかっているとは思うが、ミシェル君。今回のミッションは、人類の命運がかかっているんだ。失敗した場合は、責任を取ってもらうよ。」
「その時は、仰せのままに。」
人類の命運をかけたミッションが失敗したら、責任もクソもない。ミシェルに対する副長官の威圧は、愚の骨頂だった。
†
「あのー。」
ヤマダはすっかり行き先がわからなくなり、インフォメーションセンターに駆け込んでいた。
「展望台のお客様ですか?でしたら、一度外に出ていただいて…。」
窓口のコンシェルジュは、ヤマダのラフな格好を見て、完全にバックパッカーの観光客と勘違いし、丁重に門前払いを決め込んだ。
「いえ、ちがうんです。私、NAUSAの新人職員でヤマダという者なのですが…。研修でニールに行くよう言われてるんですけど…。」
「え、あ…。失礼しました。少々お待ちください。」
コンシェルジュは、端末を操作して予約者リストを調べた。
「あ、ありました。NAUSAのヤマダ様ですね。メディカルチェックがありますので、3番ゲートからお入りください。」
「ありがとうございます…。あ痛っ。」
ヤマダは、コンシェルジュに深々と頭を下げてお礼を言ったが、勢い余ってずり落ちてきたバックパックに後頭部をぶつけた。
軌道エレベーターを上るためには、それなりに厳密なメディカルチェックが必要である。基礎疾患などの発作が起った際、カーゴ内や宇宙ステーションで治療ができない場合を想定しているが、何よりも伝染性のある病原菌を持ち込まないための対策だった。
ちなみに、ヤマダが案内された3番ゲートは、NAUSA専用のゲートだった。このゲートを使用する者は、NAUSAの関係者だけである。
しかし、 周りを見渡しても、 新人研修というのに、自分以外に新人らしき者がいない。ヤマダは少々違和感を感じていた。ヤマダ以外は、ベテランパイロット風だったり、科学者風だったり。皆20代後半以上の年齢で、しかも、それなりに貫禄があった。
「変ねぇ。新人って、私しかいないのかしら? 一人で研修ってやだなあ。」
疑問と不安を抱きつつも、ヤマダはそのまま更衣室に向かった。
メディカルチェックは、丸1日かけて行われ、今でいう人間ドッグのような内容は、一通り行われる。そのため、下着以外の衣類は全部脱いで、検査衣に着替えなくてはならない。ヤマダは、ワンピースをぱっぱと脱ぎ捨て、やはりワンピースのようになっている検査衣に着替えた。
(やっぱり、こういうときってワンピースが楽よねえ。)
すると、後ろから誰かが話しかけてきた。
「後ろ前、逆だよ。」
中学生くらいの、幼さが残った少女だった。
「え、うそ。あら…。」
ヤマダは、前に来るはずの首のスリットが後ろに行ってしまっていることに気づき、あわてて袖だけ引き抜いて、検査衣をくるりと回した。
「やぁねぇ、私ったら。教えてくれてありがとう。」
ヤマダは舌をペロっと出して、自分の頭を小突くという、古典的なリアクションをしてみせた。
「どういたしまして。」
素っ気ない反応の少女。
ヤマダは、どうしてこんな少女がNAUSAの専用ゲート内にいるのか、不思議だった。誰かの家族だろうか? いや、ひょっとしたら、幼く見えるけど、実は自分と同い年くらいで、研修を受ける新人仲間なのかも?
「あの、ヤマダって言います。あなたも新人研修…?」
ヤマダは、恐る恐る聞いてみた。
「研修? ……まあ、そんなところだね。私はソフィ。」
妙な間が空いたが、やはりこの少女も新人仲間らしい。ヤマダはひとまず安堵した。
「新人同士、研修がんばろうね!ソフィさん」
満面の笑顔で握手を求めるヤマダ。
「ん…、ああ。」
ソフィは、思わず目を逸らしながら、握手に答えた。
(2011.2.10修正)